喰いタンKUI-TAN第六話

日本テレビ土曜ドラマ喰いタンKUI-TAN」。寺沢大介原作。伴一彦脚本。小西康陽音楽。主題歌=B'z「結晶」。次屋尚&山本由緒プロデューサー。和田豊彦&井下倫子協力プロデューサー。アベクカンパニー制作協力。渡部智明演出。東山紀之主演。第六話「思い出コロッケを食い尽くす!」。
今宵も絶好調だった。五十嵐修稔刑事(佐野史郎)が焦って大失敗をするに決まっていることを見抜いた上で、それをも予め想定し、むしろ前提した上での緒方桃警部(京野ことみ)の緻密な作戦は、食いしん坊の探偵KUI-TANこと高野聖也(東山紀之)の鮮やかな連繋を得て、見事な大成功に終わった。その間、ジタバタしていただけだった五十嵐刑事と野田涼介(森田剛)、金田一少年=かねだはじめ少年(須賀健太)、出水京子(市川実日子)。明快な二極構造を備えた怒涛の逮捕劇。
依頼者の富豪、野々村重蔵(金田龍之介)の大邸宅で大勢のメイド衆が勢揃いしていたのを見た野田涼介が「本物のメイドだ!萌え!」と絶叫したのをはじめ、五十嵐刑事の「桃ちゃん」発言とか、出水京子の「いがらし!」発言とか、何時も通りの底抜けの馬鹿馬鹿しい面白さが満載だったが、同時に、今宵は特に近代の日本における食文化の歴史を見詰め直そうとするかのような要素に満ちていて、物語がさらに味わい深いものになった。なにしろ主題が「コロッケ」だったのだ。
日本における「洋食」の王者が豚カツだとすれば花形はコロッケであるのかもしれない。高野聖也が述べたように、コロッケは子供たちが歩きながらでも気軽に食うことのできる昔ながらの人気の品だが、それはもともと貧乏な食の象徴でもあった。高野聖也が繰り返し歌った「コロッケの唄」がそのことを物語る。あの大正六年の流行歌の「きょうもコロッケ、あすもコロッケ」という歌詞が成金の栄えた時代における庶民生活の苦しさを歌ったものであるのは云うまでもない。だが、昭和六年に東京銀座の資生堂パーラーが生み出したコロッケ=ミートクロケットは高級フランス風料理だったのだ。その意味では今宵の話の最後、野々村重蔵を招いて思い出のコロッケを御馳走する段、高野聖也は「コロッケの唄」をチェロで奏でていたが、庶民の貧乏生活の悲哀を歌った歌がロココ音楽のように優雅に響いたのが面白い。
また、近代日本の洋食に関して忘れてはならないのは「刻み生キャベツ」の問題だろう。高野聖也は山盛のコロッケを食うにあたり、出水京子に山盛の刻み生キャベツを準備させた。だが、肉料理に刻み生キャベツを添えるのは元来の西洋料理の発想にはなく、明治二十八年に東京銀座の煉瓦亭が豚肉のカツレツに初めて試みたものであると伝えられる。日本の「洋食」ならではの工夫に他ならない。一つの安価な洋食にも様々な歴史があり、多くの料理人たちの創意工夫の蓄積の賜物としてそれがある。「喰いタン高野聖也の「いただきます」の一語にはそういったこと全てを噛み締める思いまでもが込められているように思える。美味礼賛。何と深い味わいだろうか。
なお、高野聖也は野田涼介との会話の中で、かつて留学先のパリでは街を歩きながらよくコロッケを食ったものだ…と語っていたが、資生堂パーラー総支配人だった菊川武幸の伝える高峰秀子の話では、本場フランスのクロケットは湯タンポ級に巨大なのだそうだ。だから常人ならとても歩きながらは食えないだろうが、喰いタンなら大丈夫だろう。また「コロッケの唄」の作詞を手がけた益田太郎冠者という人物は、NHK取材班著『秘宝三十六歌仙の流転-絵巻切断』(1984年)によれば実は天下の三井財閥の総帥、益田鈍翁の長男だと云う。実に奇なる史実。高野聖也が無伴奏チェロで演奏していたのは歌詞で云えば「アハハハ、アハハハ、こりゃおかし」の部分。

東京・銀座 私の資生堂パーラー物語
とんかつの誕生―明治洋食事始め (講談社選書メチエ)