神はサイコロを振らない第八話

日本テレビ水曜ドラマ「神はサイコロを振らない」。大石英司原作。水橋文美江脚本。櫨山裕子&内山雅博プロデュース。仲西匡&吉川慶音楽。主題歌=Ryohei feat.VERBAL(m-flo)「onelove」。オフィスクレッシェンド制作協力。小林聡美山本太郎ともさかりえ主演。南雲聖一演出。第八話。
未来から過去への時間旅行者は過去の事物を改変してはならない。たとえ路上に転がる小石一個といえども、それが未来の何らかの出来事に関係する可能性がある以上、勝手に手を加えてはならない。これはSFの世界では初歩的な道理だろう。だが、この物語の場合はそこにもう一捻り加わる。何故なら東洋航空402便は十年前に空中で発生したと思しい事故の三分前から時空を超えて今ここに来て、やがて十年前の事故の三分前に否応なく戻らなければならないのだからだ。単に未来(=現在)から過去へ行くのではなく、逆に過去から未来(=現在)に来てしまっただけなのだ。再び過去へ帰るとき、今ここで過ごした数日間の記憶は、それが十年前の人々にとって未来のことである以上、完全に失われざるを得ない。未来からの旅行者として過去に手を加え改変を試みたくとも、そもそもそれができもしないのだ。
十年前から漂流して来た東洋航空402便の人々が何とか生き延びてゆくための方法として甲斐航星(中村友也)は事故の直前の三分間に努力すべきことを主張したが、どのように努力すれば事故を回避できるのかを現在(=未来)の彼らは知っていても、十年前の彼らは知らなかった。そうであれば結局は事故は避けられない。過去に戻った瞬間に現在=未来の記憶は消滅しなければならないからだ。そして何より十年後の世界である現在のこの世界に彼らが十年間を生きてきた者としては現に生きていない(故に彼ら以外に十年後=現在の彼らがいるわけではない)という歴史的な事実こそが、事故死の不可避性を厳粛に宣告しているのだ。
とはいえ加藤久彦教授(大杉漣)は冷静に過ぎる。たとえ科学的な真理としてその通りであるとしても、十年前からの漂流者たちを少しは激励してもよいのではないだろうか。無論その激励は真理に反しているわけだが、その真理が確かに真理である限り、加藤教授の激励の言は、どうせ彼ら時空の漂流者一行が十年前に戻った瞬間に、忘れ去られる(というよりは消え去る)はずなのだから、彼らを徒に傷付けることには到底なりようがない。だったら今ここにいる間だけでも希望を与えてよいのではないだろうか。
ところで、甲斐航星は後藤瑠璃子(成海璃子)を映画デイトに誘ったが、その当日、後藤瑠璃子の待つ待ち合わせ場所に来たのは何故か黛菊介(武田真治)。何があったのだろうか。何があるのだろうか。そういったことも含めて次週の最終回を待たなければならない。