橋田寿賀子ドラマ渡る世間は鬼ばかり第九部第二回

TBS系。橋田寿賀子作「橋田寿賀子ドラマ渡る世間は鬼ばかり」。
脚本:橋田寿賀子。音楽:羽田健太郎。ナレーション:石坂浩二。プロデューサー:石井ふく子。演出:荒井光明。第九部第二回。
野田家騒動は激化する一方。野田あかり(山辺有紀)の、これまで大切に育ててきた勇気(渡邉奏人)を捨てての愛の逃避行。この殆ど犯罪にも近い事態のあとに続いて来た騒動は、長男の武志(岩渕健)の突然の帰宅。妻の佐枝(馬渕英俚可)とその「連れ子」良武(吉田理恩)を含めた三人家族で、あかりの去ったあとの実家へ移住したいとのこと。この唐突な変化をめぐり弥生(長山藍子)と良(前田吟)の老夫婦の見せた反応の違いは、一年以上前の両名の対立を想起させよう。
当時、あかりと浅田和久(深江卓次[石原軍団])との交際をめぐって両名は激しく対立していたのだが、その展開と結末は極めて興味深かった。予想外の新展開にも柔軟に対応してゆこうとする寛大な「家長」の良に対し、弥生はどこまでも頑固だった。当初その抵抗の姿勢は理不尽にさえ見えたが、野田家のそれまでの苦難の歳月、中でも長女あかりの不始末の数々をよくよく踏まえた上での弥生の「直観」には、軽視できない力があるのも確かだった。果たして現実は弥生の予測通りの結末に達したのだ。
実際、今回もまた、物分りのよい良よりも頑固な弥生の方が正確に真実を見抜いていたと云わなければならない。
他方、小島家ラーメン店「幸楽」の騒動。小島久子(沢田雅美)が兄の勇(角野卓造)に対して述べた己の言い分、「権利」が、法的に正当化され得るものであるのかどうかを知らない。だが、凄まじく違和感を惹起した。久子が「幸楽」の権利の半分を吾がものとして主張するのは、(一)それが小島キミ(赤木春恵)のものであり、しかるにキミの子の中で小島姓を今なお名乗るのが勇と久子のみであること、或いは(二)キミの世話を見ているのが米国にいる久子の家族であり、久子はキミの代理人を自称し得る立場にあることを根拠にするだろうか。
しかし大繁盛の多忙の店を日々必死に労働して守ってきた者と、その者の妹であることのみを根拠に単にその所有権を主張する者とが、当の権利において完全に平等であることが、どうしてあり得るのだろうか。信じ難い。この問題を考えるにはそもそも「幸楽」というのが一体どのような企業組織であるのか?という点を把握しておかなければならないのだろうが、生憎その辺についても何も知らない。「幸楽」とは何であるのか、「幸楽」にとって久子とは何者であるのか。自称オーナーだが、多分、株主ではなさそうだ。女将として店を仕切る五月(泉ピン子)が実は店の経営状態を全く知らなかったという事実は一年以上前に描かれていた。全てを知るのは勇と久子のみ。なるほど二人が経営者であるのは確かだが、それはどのような立場として正当化され得るのか。なぜ権利において平等であり得るのか。とても解らぬ。