栗本薫=中島梓逝去(享年五十六)

作家、著述家の栗本薫=中島梓逝去。享年五十六。
吾が庵の書庫には栗本薫の文学作品は生憎一冊もないが、中島梓の評論作品は二冊ある。一つは『美少年学入門』増補新版(一九九八年、ちくま文庫)。もう一つは『あずさの元禄繁盛記』(二〇〇一年、中公文庫)。
中島梓で思い出されるのは、遠い昔、テレビ朝日系「象印クイズ ヒントでピント」に解答者の一人として出演していたときの姿。長くて派手な黒髪の、いかにもアヴァンギャルドな知性派の女子という印象があって、見ていて、頭良さそうで怖い!と思ったものだった。ところが、十数年ばかり前のことだったろうか、NHK「歴史誕生」に曲亭馬琴南総里見八犬伝」についての解説者として出演していたときは一転、知性に深みが加わった以上にその容姿が、まるで豪快な「肝っ玉母さん」みたいになっていて、その見事な進化には深く心動かされたものだった。
実際、『美少年学入門』の跋文「反少年派宣言」には丁度それに呼応し裏付けるような言葉が見える。かつて青春時代に自ら開拓してきた美少年礼賛の文学に、歳月を経て今や自ら対峙し、決別して否定し去ろうとするその文中の、まさに「少年」という存在の仕方それ自体への否定の言には、「時間」と「生活」というものを知った者ならではの感慨があり、実に圧倒される。「私は、自分も少年という年齢を遠くすぎ、少年という生物の母親であるくらいに年齢を重ねてきました。むしろこれからの私にとって重大であるのは老年の問題であったり、女性としてのアイデンティティを失ってゆく時期にさしかかったという問題であったりします。そのなかにあって、私には、いまはまさに「少年」をめでているゆとりがない。ゆとりがないというより、それを愛することができない。明日を殺す残酷さ、いまに生きている倨傲さ、不安ともどかしさをぶつけてくる若い荒々しさを愛することができない」(p.294)。ちなみに中島梓の「せがれ」氏は滝沢秀明よりも一歳下だそうだ。
他方、『あずさの元禄繁盛記』を見ると、例えば「駕籠に乗る」ということについて「それが普通の女性にとっては唯一の足以外の交通機関である」というのが「実感としてわからない」「感情移入ができない」と書いていて(p.182)、これなど、江戸と現代との間の遠い隔たり、現代にとっての江戸文化の異質性をさり気なくも鋭く抉り出していると思える。江戸文化を無批判に一方的に礼賛する人々が多い中で、この醒めた見方には感服せざるを得ない。

美少年学入門 (ちくま文庫)
あずさの元禄繁昌記 (中公文庫)