仮面ライダーW(ダブル)第三十一話

東映仮面ライダーW(ダブル)」。
第三十一話「風が呼ぶB/野獣追うべし」。
脚本:三条陸。監督:諸田敏。
苦悩を超えて歓喜へ!と云うのは十九世紀ドイツの音楽家ベートーフェンの英雄的な芸術におけるドラマティクな構成を形容する馴染みの評言かと思うが、最高度の光輝を生み出すためには先ずは苦悩が置かれなければならないというのは、英雄のドラマにおける発想の基本であることだろう。
もちろん仮面ライダーWでもそうだ…ということを、今朝のこの話を見た視聴者の誰もが思ったに相違ない。そのようにでも信じないことにはとても見るに耐え難い話でさえあったと思う。左翔太郎(桐山漣)が余りにも不憫で。
依頼人からは無能者扱いをされて何度も頭を叩かれて、その罵倒の言からは翔太郎自身も忌まわしい過去を想起して自分自身を責めるしかなくなっていた。「おまえみたいな奴は、何れ大切なものを失うことになる!」という言から亡き恩師「おやっさん」との別れのことを想起せざるを得なかった彼は、それでも、もう「おやっさん」以上に大切な人を失うことなんかあるはずがない…と自分自身に云い聞かせていたのだが、同じ頃、まさしく「おやっさん」以上に大切な人であるかもしれない人をも彼は失いかけていたのだ。
なぜなら謎の女シュラウド(声:幸田直子)から新たな武器と力を与えられたフィリップ(菅田将暉)の「進化」に、翔太郎は今のままでは付いてゆくことができないからだ。換言すれば「相棒」の資格を失おうとしているのだ。実際、シュラウドは大切な「來人」=フィリップの友として翔太郎は不適格であると考え、何とかして別れさせようとしている。シュラウドが來人の友に相応しいと想定している人物は、照井竜(木ノ本嶺浩)であるに相違ない。ここ数週間の物語はそのような方向で進展してきた。シュラウドの差し金だろう。
翔太郎は全てを失うことになるのか?と大いに手に汗握り心配しつつ、今後の英雄的な好転に期待して見守らなければならない。
それにしても、この英雄的=悲劇的な過程に深みを与えているのは、翔太郎が苦戦と苦悩の連続の中でも能天気であり続けようとしていること、そして苦悩はむしろフィリップの側にあり、彼が翔太郎を失いたくなくて悩んでいるとき翔太郎はフィリップを失う可能性なんか思いも寄らないでいることだ。