今治城と今治市河野美術館を見物

昼十二時半に外出。JR松山駅前のカレー店のチキンカレーで昼食を摂って一時二十分に駅を発ち、今治へ。今治城を見物。天守閣には狩野晏川貴信筆の福禄寿に松竹梅の三幅対や、今治城主久松定基筆の君が代の書の一幅、円山応文筆の飴買幽霊図一幅等が展示されていた。久松定基の君が代の書の下半分には寿老人の図があり、「常一」の落款があった。円形の郭内に寿老人がいて、左右に鶴と鹿がいる図で、太い墨線が心地よいと感じた。狩野晏川の三幅対について会場では「福禄寿・松・竹」と説明されていたが、中央の福禄寿の脇に梅が描かれていて松竹梅をなしていることを見落としてはならない。天守閣の頂上階から瀬戸内海の景色を眺望したあと、山里櫓へ行き、河野勝一コレクション展を観照。
櫓の一階に今治藩の画御用をつとめた能島柳川斎典方筆蓬莱山図一幅のほか、沖冠岳筆百鳥図一幅、山本雲渓筆猿図一幅(小幅)、山本雲渓筆富士山図一幅等、二階には山本雲渓筆龍虎図双幅、矢野橋村筆牡丹図一幅等が出ていた。沖冠岳の百鳥図は、実際には百羽もなく、大幅ではないこともあって十数羽程度の、それぞれに異なる容姿の小さな鳥たちが樹の数本の枝に宿るのを描いたもの。全体として博物図譜の類の図版のような余りにも生真面目な描き方が取られた中でも、よく見れば時折、例えば、斜め上から見られた雀みたいな鳥の、頭部や胴体のヴォリューム感をさり気なく表現し得ているところの上手さ等に気付かされ、感心させられた。知道人=矢野橋村の画幅が多く出ていた中で特に目を惹いたのは、奇石のあっさりした描写が心地よい牡丹図。橋村の甥の矢野鉄山が大画面を埋め尽くす高密度の描き込みにおいて秀でているのに対し、橋村は細密な描写よりも簡潔な描写の作に魅力があると思う。
三時半頃に今治城を出て、今治市河野美術館へ。六月二十八日まで開催中の館蔵品企画展「歴史を生きた女たち展」を観照。大田垣蓮月の和歌の書一幅が出ていたが、下半分に描かれた絵は誰の作だろうか。若き富岡鉄斎である可能性はないのか。奥原晴湖の水墨山水図一幅や跡見花蹊の水墨花鳥図一幅も出ていたが、さらに見応えがあったのは男性画家による美人画の展示。山口重春の美人画は、夏の衣の、光を通す薄さとそれに施された文様を金で描いて、涼しげでありながら豪奢でもあると見えた。香蝶楼=初代歌川国貞の美人画は、深い緑色の衣に金で文様が施されて重厚。河村文鳳の唐風の美人画も端正。寺崎広業の画美人は舟遊をしているのか、船首の上に立って川を眺め、舞い散る桜花を浴びている様子は、小品ながらも晴れやかに華麗だった。柳原白蓮白洲正子の原稿等も並んでいた。
今治駅前にある料理店の焼魚料理で夕食を摂ってから松山駅へ戻り、帰宅したのは十時頃。