テストの花道&寄り道第九回

NHK教育の、受験生のための(そして大人にも為になる)番組「テストの花道」(及び関連番組「テストの寄り道」)。先月二十九日の土曜日の朝九時二十五分から再放送(及び九時五十五分から放送)された第九回を録画しておいたのを見た。
今回の課題は「根拠をはっきり言う」。これは実に好企画だ。高校生のために試験勉強の仕方を伝授するこの番組の直接の意図は、試験問題において与えられた文章等に対して違和感を見出し、違和感の根拠を「なぜか?」と探し出し、「なぜなら…だから」と明確化して表現すること、そしてそのためには幅広く色々な知識を正確に身に付けることの必要性を説くことにあるわけだが、しかるにこのような探求や確認の作業というものは、入学試験という場のみならず、もっと一般的に、探求し考察し企画し表明する全ての場面において要求される作業だろう。
とはいえ番組中に取り上げられた誤った言葉遣いの例「幻の地鶏」や「本場インド人が心をこめて作る」等の表現については、違和感を抱くのが正しいかどうか悩ましいところではあるはずだ。なぜなら実際にこの種の表現は今日の日本において広く流通しているからだ。この種の崩れた乱れた日本語というものは現在の世間に余りにも無数に氾濫している。しかも、崩れた乱れた表現も広く普及し定着して多くの人々が違和感を抱かなくなれば既に正しい表現と化すのだ…等ということを国語学者が主張し、言論機関がそれを持ち上げる有様。
そうした中で敢えて語の正確な用法や、理に適った文法の必要性を主張することには勇気を要するかもしれない。時には多数派との闘いをさえも強いられるかもしれない。それでもなお、言葉と言説の正確性を求めることは何としても必要であるはずだ。なぜなら言語は他の言語に翻訳可能でなければならないからだ。しかるに言語の翻訳の可能性を保障するものは、基礎的な語の用法(=意味)の安定性、正確性と、文章表現の論理性、そして現実との類比性にあると思われる。
真田佑馬は、この番組における彼の成績を見る限り、物事の本質を「何となく」把握することには意外に長けているように見受けるが、それを正確に言語化することには今一つ慣れていないらしい。でも逆に云うと、彼は知識の正確な把握や明確な表現においては今一つであるかもしれないし、ゆえに試験には強くはないかもしれないが、何となく真理に達するのかもしれない。この番組における彼は「百識王」における「アホの子」とは違い、なかなか賢くて頼もしいところがあって、その意外性には何時も驚かされる。