素直になれなくて第十一話=最終回

フジテレビ系。ドラマ「素直になれなくて」第十一話=最終回。
物語の最後に至って、主人公ハル(上野樹里)の弟の水野シュウ(中村優一)が再登場し、違法薬物に手を出してしまっていた件について家族に正直に告白した上、「素直に全てを警察に話すよ」と告げた。驚くべき哉!作品名の「素直になれなくて」とは実は彼のことだったのだろうか。
それにしても、雑誌社「ベストマガジン社」の編集部における淫乱セクハラ編集長の北川悦吏子ならぬマリコ(渡辺えり)と写真家ナカジ(瑛太)との会話を理解するのは難しい。マリコは自身の部下だった亡きリンダこと市原薫(玉山鉄二)をセクハラによって苦しめ追い詰めてしまっていた件に関して、「本気だったの、市原君のこと」と述べていたのだが、「本気」の愛に基づいた行為であればセクハラにはならないとでも思っているのだろうか、それともセクハラであっても「本気」の愛に基づいた行為であれば許されるとでも思っているのだろうか。何れにせよ馬鹿げた思い込みだ。たとえどんなに「本気」の愛に基づいた行為だったとしてもセクハラはセクハラであることを免れないに決まっているではないか。
そしてまた無責任男のナカジが、「リンダは残された我等の幸福を望んでいるはずだ」という理由によって、マリコと己自身とを一挙に免罪してしまったのにも驚かされた。確かに、亡き人の思いのことばかり考えていては前進できないという事情はある。でも、死者への後ろめたさを抱えながらも後ろを振り向かずに前進することと、死者の無念を生者の側で勝手に解決済のものとして扱い、後ろめたいことなんか何もなく自分たちには何も罪はないと言い張ることとでは意味が全く違う。そもそもナカジは、リンダがナカジのために何をしたのか、マリコからどのような仕打を受けてそれにどのように耐えたのかの全てを知っているわけでもないだろう。果たしてどこまで知っているのかは劇中に全く描かれていないが、リンダの苦悩の全貌を知るのは多分、劇中にリンダ一人だけだろう。ピーチ(関めぐみ)も、リンダがナカジに片想いを抱いていることだけは知っているが、リンダがナカジのために自身の性に反して身を挺したことまでは知らないはずだ。しかるに、吾等視聴者はその辺の事情を幸か不幸か把握できている。そんな吾等視聴者の眼前、ナカジは勝手にリンダの名を借りてマリコの罪を全て許したのだ。