外山正一演説-日本絵画ノ未来

六月末や九月末はテレヴィにおいては云わば期末であるから、見るべき番組が少なくなる。
それで休日の明日を前に、外山正一の「日本絵画ノ未来」を読み直した。
幕府開成所の俊才で、勝海舟配下の洋学者として名を知られ、維新後も社会学の第一人者として活躍し帝国大学文科大学長まで務めた文学博士外山正一の、明治二十三年四月二十七日、明治美術会大会におけるこの演説は、(迂闊にも!)原田直次郎の渾身の傑作「騎龍観音」(護国寺蔵/重要文化財)を執拗に陰湿に批判してしまったこともあって当然ながら原田直次郎の盟友である森鴎外からは執拗にも論理的な反論を受けた上、海外の美術商業界に通じた美術商の林忠正からも現実主義的な反論を受けてしまい、大変に悪名高いものではある。実際、論理的でもなければ明晰でもない長大な論は真の知性とも云うべき森鴎外の眼には愚劣に見えたかもしれないし、長大な演説の後半では珍妙な例え話を幾つも延々列挙して繰り広げていて、その所為もあって馬鹿げた内容の演説であったかのような印象を残してしまいがちだが、冷静に読んでみれば意外に面白い。「思想画」に関する主張には聴くべきものがある。
彼が最も高尚な絵画のあり方であると主張する「思想画」とは一体どのようなものであるのか、その意味を理解するには多分、その最高の範例として、十七世紀フランス絵画の巨匠ニコラ・プッサンの名作中の名作「アルカディアの牧人たち」(ルーヴル美術館蔵)を想起すればよい。
明治の日本の洋画壇で云えば、中村不折鹿子木孟郎のような明治美術会派の不屈の人々には、古典主義的な歴史画や裸体画の制作を粘り強く継続する中で思想画の境地をこそ標榜して欲しかったと思う。