渡る世間は鬼ばかり第十部第二十六話

TBS系。橋田寿賀子ドラマ「橋田壽賀子ドラマ渡る世間は鬼ばかり」。
最終部=第十部第二十六話。
このドラマの現在における最大の謎の一つに、長谷部力矢(丹羽貞仁)と妹の長谷部まひる(西原亜希)は、祖母の長谷部マキ(淡島千景)をいつまで騙し続けるつもりだろうか?ということがある。
(1)いつまでも!とでも云うのだろうか。そうなると長谷部まひるの恋人を偽装して両名の嘘に加担し続けている小島眞(えなりかずき)は、いつまでも解放されないだろう。これでは事実上の婚約でしかない。
だが、人生に無限はあり得ない。そうであるなら(2)祖母が死ぬまで!とでも云うのだろうか。祖母の死を待望するとは不孝で非道な話だし、たとえ祖母が亡くなったとしても事態が好転するわけでもないのではないのか。
(3)長谷部力矢の言分を素直に信じるなら、長谷部まひるが本当の恋人を見付けるまでの間の、当面の時間稼ぎのために、小島眞を偽の恋人に仕立てていると解される。だが、これは信じ難い。なぜなら、これが事実その通りであるなら長谷部まひるは本気で結婚したいと思える恋人を拵えるべきであるし、小島眞を解放してやるべきだが、実際には、恋人探しに躍起になるどころか無関心を決め込んで、兄の家や職場にまでも入り浸り、小島眞との偽装の交際を続けているだけだからだ。もっと酷いのは兄の長谷部力矢で、職場における上司であることの強みを活かして小島眞に妹の恋人を演じさせ、公私ともに決して自由を与えようとはしない。昼間には仕事で正当に拘束するが、夜には妹の恋人役として不当にも拘束している。長谷部力矢は妹と部下との恋を、嘘ではなく、事実に変えたいと考えているのではないだろうか。小島眞を己の家族として迎えたいのが本音ではないのか。否、それどころか己こそ小島眞を欲求しているのではないのか?とさえ疑われよう。
何れにせよ、いつまで続くのか知れない長谷部家の兄と妹の無益で有害な嘘のために、小島眞は己の人生を犠牲にし続けている。もし彼が長谷部まひるとの交際を、さらには結婚をも望んでいるなら、或いは少なくとも望み得るなら問題はないかもしれない。彼のその意に長谷部まひるが同意したなら婚約は成立し問題は全て解決する。だが、現時点において小島眞には生憎そのような意は全くないらしい。彼は今なお大井貴子(清水由紀)を愛し、結婚したいと願望しているからだ。下手すれば今なお、本当は相思相愛であるはずだと信じているかもしれない。大井貴子からは既に結婚の意はないと断言されたにもかかわらず。森山壮太(長谷川純[ジャニーズJr.])に対する大井貴子の愛のこもった眼差しを目撃したにもかかわらず。
面白いことに、小島眞を親友として敬愛する森山壮太を筆頭に、岡倉大吉(宇津井健)も青山タキ(野村昭子)も本間長子(藤田朋子)も、高級料理店「おかくら」の人々は皆、小島眞と大井貴子とが今なお本当は相思相愛であるはずだと今なお本気で信じているのだ。大井貴子が既に小島眞との昔のような交際の意はないことを宣言したのを、皆で見届けたはずであるのに。吾等視聴者よりもはるかに両名の様子をよく知るはずの彼等がそこまで確信している以上、真実はその通りである可能性がある。しかし逆に、これは単に大井貴子の陥っている窮地の逃れ難さを表現しているのかもしれない。何れにせよ、小島眞と大井貴子との関係に関する「おかくら」の人々の今回の反応は、このドラマの特徴を端的に表していたと見ることができよう。進展したと見えた話が何時の間にか元の地点に逆戻り。同じ場所をいつまでもクルクル循環し、あるいは時間をかけて前進しても何かの弾みで一気に引き戻される。三歩進んで二歩下がれば躍進と見える程だが、時には機械仕掛けの神が救いの手を差し伸べることもあるので要注意。
森山壮太は小島眞を物凄い好青年だと思っているようだが、演じている人の容姿を別にしても、劇中の役割や描写を見る限り、森山壮太の方が小島眞よりも好青年として描かれているとしか思えない。
好青年としての印象の源泉の一つとして、色恋に殆ど無縁であることがありはしないだろうか。彼は性別を問わず誰にでも優しく、また、大井貴子に限らず青山タキや本間日向子(大谷玲凪)をはじめ女子たちからも愛されるが、誰か特定の女子にだけ特別に優しく接するわけではない。もちろんNHK大河ドラマに勝るとも劣らず登場人物の数多いるこのドラマには色恋に無縁な登場人物は数多いるが、多分、多くの女子たちを魅了しておきながら自ら恋に動くことがないという一方向性において森山壮太は稀有な、殆ど唯一の存在ではないのか。