ドラマ生まれる。第二話

TBS系。金曜ドラマ「生まれる。」第二話。
解決できそうもない難問を抱えて始まったテレヴィドラマを見る度に思うのは、脚本家は結末について責任を取り得るのだろうか?ということだ。問題を提起するのは有益だろうが、それを深めようともしないで、視聴者を煽るような話ばかりを書き連ねて話を誤魔化したり、問題を全て一挙に流し去り消し去る程の奇跡を起こしたりして、問題それ自体を馬鹿にしたような結末にしてしまっては、テレヴィというものへの不信感を募らせるだけだ。
亡き夫との間の子を身ごもった五十一歳の母=林田愛子(田中美佐子)の、愛する人の最後の贈物だから何としても生みたいという思いと、高齢出産の危険性や今後の養育の責任の所在等の問題を理由に断固反対する長女=林田愛美(堀北真希)の思いとの間の衝突は、どう考えても解決しようがないだろう。
林田愛子にもし現時点で子どもが一人もいなかったなら、高齢出産の危険性をもっと真剣に考えざるを得なかったはずだ。生まれたばかりの子が、既に両親を亡くしていることになるかもしれないからだ。だが、実際には、林田愛子には四人もの子がいて、内二人は一応、社会人として働いている。生まれたばかりの子は、両親を亡くしたとしても、はるか年上の姉と兄に育ててもらえることだろう。誠に心強いこと、幸いなことだが、万が一にも高齢出産の母が亡くなった場合、林田家の長女の林田愛美と長男の林田太一(大倉忠義)、ことによると次男の林田浩二(中島健人)も、はるか年下の弟又は妹の育児や教育のために人生を費やさなければならないだろう。結婚もせず子も生まれないまま親になるという人生に、彼等は耐えられるだろうか。
そのような人生を喜んで引き受ける人もいるだろうが、とても耐え切れない人もいるだろう。林田愛子は自身の子どもたちが親にならないまま親として行動する人生に耐えてゆける人間であると確信できているのだろうか。
実は意外にもそうではないらしい。なぜなら林田愛子は、長女からのそのような問いかけに対し、己が責任をもって子を育てる意であること、長女や長男に犠牲を強いる真似は一切しないことを約束したからだ。無論こんな約束をしてはならない。何の根拠もないからだ。危険性を承知した上で、それでもなお生みたいのであれば、長女や長男や次男や次女に対して云うべきことは一つ。姉として、あるいは兄として、はるか年下の弟又は妹の育児や教育に対する責任を果たせ!という冷酷なまでの命令ではないのか。こうした明確で冷酷な命令あってこそ、彼等は反対か賛成かを真剣に考え、行動することができる。二つの意見が相反しているときは真剣な衝突こそ解決への道であるはずだが、林田愛子は現時点において己一人で全責任を引き受けることを根拠もなく宣言して、衝突を避けている。家族間の不和を見たくないからかどうか知らないが、そうした姑息な現実逃避は結局、自身が責任を果たせない事態に至った場合、責任を引き受ける意のなかった者たちに、何の合意もなく「なし崩し」で全責任を押し付けることにしか繋がらないだろう。余りにも子ども染みて無責任な言動ではないか。
林田愛子と同じく「大丈夫!何とかなる!」と云っておきながら、結局どうにもなりそうもなく、誰も責任を取れないまま世界に恐怖を与えている卑怯な連中を連想した視聴者は少なくなかったのではないだろうか。
このドラマの脚本家は、平和には解決できそうもない難しい問題に真正面から取り組んでゆくだけの覚悟を持しているのだろうか。このドラマの真の見所はそこだろうが、率直に云えば全く期待できそうもない気がする。だから出演しているアイドルの美だけを愛でておくのが、最も賢明な鑑賞法ではないかと思う。