旅行記三大阪市立美術館の歌川国芳展/神戸市立博物館の大英博物館古代ギリシア展

旅行記三。
朝十一時頃にホテルから外出。地下鉄の御堂筋線で梅田駅から天王寺駅へ。地下の喫茶店のチキン・ピラフで昼食を摂ってから地上へ上がり、天王寺公園を通って昼十二時半頃、大阪市立美術館へ到着。
大阪市立美術館で開催中の「没後一五〇年 歌川国芳展」前期展を観照。前期展は日曜日で終了し、五月十日から始まる後期展は六月五日まで開催される。
面白い画が多く並んでいたというよりは面白い画ばかり並んでいたと云ってよいが、私的に特に興味深く見たのは、安政三年頃の版画《新吉原京町一丁目角海老屋惣二階之図》。横長の大画面に吉原の楼閣の二階の様子を広々と描いているが、手前の廊下に面した中庭を描いてその向こう側の廊下と座敷、さらにその座敷の窓の外の景色まで望んでいるのに加え、この二階へ上がる階段の向こう側には一階の内証(帳場)の広々とした座敷も覗き見える。画面の広さを存分に活かして、奥行と立体感のある巨大な建築空間を表現している。
天保十三年頃の版画《幼童席書会》は、解説文には寺子屋における書初の様子を描いたものとあるが、むしろ《子供火消し》や《子供大名行列》等の子ども絵と同じく、子どもに大人の格好をさせた面白さを見るべきものではないのだろうか。江戸時代後期の文人たちの間で盛んだった書画会の様子を描いたものとして見ると、一段と楽しめるように思う。
二時二十分頃に大阪市立美術館を出て、大阪市営地下鉄御堂筋線天王寺駅から梅田駅へ移動し、次いで阪急電車で梅田駅から三宮駅へ移動。この間、梅田駅から西宮北口駅まで仮眠。三宮駅から暫く歩いて、夕方四時頃、神戸市立博物館へ到着。
神戸市立博物館で開催中の展覧会「大英博物館 古代ギリシア展-究極の身体、完全なる美」を観照することこそが今回の旅行の最大の目的に他ならない。これを万全な体調で見るために、昨日は無理をしなかったのだ。
前売券を手にして博物館へ入り、先ずは二階の売店で海洋堂制作の《円盤投げ(ディスコボロス)》公式カプセルフィギュアの引換券を手渡して現物を入手したのち、第一会場のある三階へ上がった。
古代ギリシアにおける身体の美の思想、理想について考えさせる造形美術の史料群が大英博物館の名宝から選び抜かれて会場内を埋め尽くしつつ、随所には特に目を惹く美麗な作品をも配した今回の展覧会の中で、最初に目を惹いたのは大理石像《擬人化した葡萄の木とディオニュソス像》。
カイネウスとケンタウロスたちの戦闘を描いた《赤像式柱形把手付きクラテル》では、背面を見せる人物の御尻が美麗。小さなブロンズ像《ヘルマフロディトス小像》には極めてエロティクな表現がある。大理石像《優勝選手の像》は驚くべく滑らか。小さなブロンズ像《槍を持つ青年小像》の肉体の表現は古典時代の表現に比して肉感的。「少年は美しい」の銘文を持つ《赤像式キュリクス》では、少年への贈物としての兎の身体のしなやかさと、賞賛される少年の身体のしなやかさが並べられている。
大理石による《若者の墓碑浮彫》では、浮彫で表現された身体は古代ギリシアならではの威厳あるフォルムを見せるが、頭の形と顔立ちはどう見てもギリシア風ではなく明らかにローマ風。今、展覧会図録の解説文を見るに、なるほど、頭部のみはローマ時代に差し替えられて「再利用」されたらしい。他人の墓碑を再利用するなんて酷い話だ。
大理石像《運動選手の頭部》は、ギリシアの原作に基づくローマ時代の模刻どころか、ローマ時代に擬古典風、ギリシア風に作られたものとさえ考えられているようだが、目や鼻や口の形とそれらの配列、さらに顔の輪郭や顔の全体を見る限り、この上なく理想の美を実現し得ているように見える。
この展覧会で一番の見所であると断言できる名品中の名品、大理石像《円盤投げ(ディスコボロス)》は、二階の第二会場の中に設けられた特別な空間に安置され、あらゆる角度から照明を受けていて、像の周囲三六〇度のどの方角からも観照することができる。だから像の周囲三六〇度のあらゆる方角から存分に観照した。この像は「正面」として設定された一つの方角から見られることを想定して作られているようにも思われるが、それでも、あらゆる角度から観照するなら、身体の美というものがそのあらゆる面の凹凸や曲線の絶妙な総合として実現するものであることを再認識できるだろう。
槍投げの選手カイリッポスを描いた《白地式アラバストロン》では、厚みのある逞しい身体と、決して強そうではない横顔、金色の髪の組み合わせが美しい。レスリングの試合の様子を描いた《赤像式キュリクス》では、選手の胴体の肉感的な太さが印象深い。
ブロンズ製の《銅鎧》は、彫刻に表現される肉体と同じように美麗な肉体を銅板で打ち出したもの。云わば彫刻の肉体美を身にまとうようなもの。
今回の展覧会で画期的なことの一つは、古代ギリシア人の「性」に関する信仰や文化を表現したものが展示されていることだ。例えば《赤像式鐘形クラテル》では競技会で優勝した運動選手の若く美しい男子二人が今まさに身体を交えようとしている様子を描いている。
身体の美を賞賛することは、美しいとは云えない身体や美しくない身体への違和感や拒否感を含意する。槍投げ選手や円盤投げ選手の肉体美とレスリング選手の太鼓腹とを並べるようにして描いた有名な《赤像式キュリクス》はそうした感性=美学の端的な表現として見ることができるようだが、面白いことに、古代ギリシアでは美しくない身体や醜い身体も盛んに彫刻や絵に表現されていて、今回の展覧会ではそうした作例も特集され、数多く展示されている。この点も今回の展覧会の画期的なところだと云えるだろう。
以上のほか、全ての展示品が興味深く素晴らしく、実に見応えのある面白い展覧会だった。できることなら、もっと体調の万全なときに改めて見に来たい程だが、実は連休中の平日だったからか意外にゆったり見ることのできた今日こそは、最も恵まれた日だったのかもしれない。
売店で色々大量に購入して、一階で上映されていた解説の映像を一通り見てから博物館を退出したのは夕方六時四十分頃。阪急電車三宮駅から梅田駅へ戻り、ホテルの宿泊室に荷物を置いたあと、昨日に続き今宵も菱竹のスキ焼で夕食。明日の朝のためのパンを購入してホテルへ帰ったのは夜九時頃。