旅行記二/大和文華館名品展/奈良国立博物館古事記展と名品展と仏像館/東大寺

旅行記二。
昨夜は何時しか寝てしまい、起きたのは今朝五時半頃。七時からホテルの食堂で朝食。予想していたよりは充実していた。宿泊室内で暫し休憩したのち、九時三十五分頃に外出。近鉄の電車に乗って学園前駅へ。朝十時頃に大和文華館へ到着。
大和文華館で六月二十四日まで開催している「大和文華館名品展-コレクションの歩み」を観照。日本美術史を代表する名品の数々が惜しげもなく並んで実に壮観。国宝「寝覚物語絵巻」(平安時代)における樹木の表現の面白さには特に魅了された。「伊勢集断簡(石山切)」(平安時代)も華麗な色彩と明晰な筆墨が楽しいが、他方、重要文化財源氏物語浮舟帖」(鎌倉時代)は驚くべく抑制された細い線で白地に簡潔に物語の登場人物を描き出していて、専門用語で「白描」と呼ばれるこのモノクロームの表現の清潔感はさらに楽しい。「平治物語絵巻断簡」(鎌倉時代)は六波羅合戦に敗れて逃走する源氏の若武者を描く。ここに見る源頼朝は、果たして中川大志岡田将生に似ているだろうか。
この展示における一番の見所といえば何といっても、佐竹本三十六歌仙絵巻断簡の一つ、重要文化財小大君像」(鎌倉時代)に他ならない。大正期に「切断」されて散逸していなければ国宝になって然るべきだったはずの絵巻物の傑作で、その三十七枚に分断された断簡の中でも、斎宮女御殿下、小野小町、伊勢、中務とともに人気の高いのがこの小大君。要するに、大正と昭和の財界の茶人衆によって分断されて以来、姫君の絵は求愛され、坊主の絵は敬遠されてきたという話だが、確かに、十二単の正装をした女官の威厳ある姿と繊細な表情には魅入らざるを得ない。
この他にも、重要文化財の雪村周継筆「呂洞賓図」(室町時代)をはじめ、一休宗純賛「一休宗純像」(室町時代)や重要文化財、雪村周継筆「花鳥図屏風」六曲一双(室町時代)、重要文化財、雪村周継筆「自画像」(室町時代)、渡辺始興筆「金地山水図屏風」六曲一双(江戸時代)等、見応えある作品が多数。来館者が少なかったので存分に鑑賞することができたのも有難いこと。
十一時三十分に大和文華館を出て、学園前駅へ。晴天下を歩いて暑かったので駅のパン店でシューアイスを購入。近鉄奈良駅へ移動。駅の売店の一つ「ゐざき」で柿の葉寿司「春日」を購入。五百円。晴天下を歩いて奈良国立博物館へ。
博物館の前にある池の畔のベンチに腰かけて柿の葉寿司を食べたあと、さらに昨日お会いした蜷川館長から有難くも頂戴していたパンを食べていたところ、背後に何か近接してきた気配があり、驚いて振り返れば鹿の顔が間近に迫っていた。驚いて席を立ったが、見ると、鹿は何度も首を縦に振って顎を突き出していて、恐らく「早くパンをよこせ!俺にも食わせろ!」と要求しているのだろうと思われたので、先ずは一切れを与えたところ直ぐに食べられ、さらに要求され、もう一切れを与えれば直ぐに食べられ、またも要求され、もはや一切れ分しか残っていなかったので全部を与えれば無論それも直ぐに食べられて、さらに「くれ!くれ!」と執拗に要求を続けられた。両手を合わせて拝んで、もう残っていないことを申し上げていたら、別の鹿一頭が近付いてきて同じように要求を始めた。もちろん拝んで謝罪するしかなかった。思えば、鹿の襲撃を受けたのは初の経験だった。鹿は神の使者。何か御利益があるだろうか。
予想外の騒動に慌てつつも、昼十二時四十分頃には奈良国立博物館の西新館へ入り、昨日から七月十六日まで開催している特集陳列「古事記の歩んできた道-古事記撰録一三〇〇年」と、名品展「珠玉の仏教美術」を観照。三時二十分頃に地下の通路を行き、本館「なら仏像館」における名品展「珠玉の仏たち」を観照。閉館時間の五時に退出し、大急ぎ東大寺へ。東大寺は夕方五時三十分で閉門するが、閉門の八分前の時点でも大仏殿に入れてくださったので大いに感謝しつつ参拝。
閉門の少し前に大仏殿を出て、東大寺をあとにしたあと、興福寺の中金堂再建工事の現場の外観を見物し、石段を降りて猿沢池の畔を歩いて、商店街を行く途上、ぜいたく豆本舗で豆の菓子を購入し、観光案内所にも立ち寄ってみれば、二〇〇八年に放映された玉木宏主演のテレヴィドラマ「鹿男あをによし」で使用された鹿ロボットが二体展示されていた。内一体は胸像。そこから新大宮まで延々歩いて、夜八時頃にホテルへ戻った。