昭和二十年代の松山城下の景観

出勤。午前中から南予方面へ出張。昼に始まった仕事は夕方に終了。その時点で、松山へ向けて出立しても勤務時間内に職場へ帰着するのは不可能であると判断されたので直接に帰宅することにした上で、帰宅する前に、西予市宇和町卯之町愛媛県歴史文化博物館で九月二日まで開催されている特別企画展「GO GO TRAIN!」と、同じく来月二日まで開催されている小企画展「戦後松山を記録する-山内一郎パノラマ写真」を、閉館時間の五時半までの間に急ぎ足に鑑賞。
前者では、愛媛の鉄道(伊予鉄道国有鉄道宇和島鉄道等)の競合や吸収の発展史を様々な資料で見せていて、古い写真や絵葉書等の何れも興味深いが、壁面に掲示されてある詳細な年譜も、読んでゆけば興味深い記事に満ちていると知る。各駅の現況を捉えた写真や、列車の車掌席の窓から見える景色の映像も面白い。
後者では、昭和二十年代の松山市内の、空襲による荒廃から復興してゆく様子を捉えた貴重な写真群をパノラマ形式にして見せている。当時の撮影者自身が一つの地点から周囲百八十度の景観を連続して把握できるような仕方で一箇所に付き何枚もの写真を撮影することを何箇所にもわたって行っていたようで、この展示の妙味は、数組のそのような一連の写真群をそれぞれ合成して実際に連結して、数組のパノラマ写真集にしてみせた点にある。現況の写真も添えてあるので、現在の松山の景観を想起しながらそれら数組のパノラマ写真集を見れば、昭和二十年代の松山城下の様子を胸中に再現することもできる。
昔からあったかのように見える店が昭和二十年代には存在していなかったり、反対に、大して古くもなさそうに思える店が既に昭和二十年代に存在していたり、色々な発見があるのは古写真の楽しみ。
昭和二十八年の松山市駅前の写真には井上正夫の銅像が建っているのが見える。明治から昭和にかけて活躍した新派劇の俳優で映画監督でもあり日本芸術院会員にまで任命された井上正夫は昭和二十五年に六十九歳で逝去。その二年後の昭和二十七年に同地に銅像が建立された。像の作者は京都三条大橋の高山彦九郎皇居望拝像や知覧の特攻勇士像「とこしえに」の作者でもある伊藤五百亀。
パノラマ写真集を見て気付かされるのは、昭和二十年代の松山城下、特に駅の周辺には行き交う人々の姿が実に多く、活気があって、復興のための公的資本形成(公共事業)の影響にもよるのか、決して不景気ではないと見受けること。しかし考えてみれば当時はインフレ傾向にあったのだとすれば案外デフレの現在よりも恵まれた経済状態にあったとさえ云えなくもないのかもしれないのだ。
色々感心させられたのち博物館を出て、夕方七時二十三分にJR卯之町駅を発して帰宅したのは九時頃。