正月二日/初詣/護国神社と八幡宮

正月の二日目。今朝は九時半に一度は目を覚ましたが、眠かったので直ぐに寝て、起きたのは元日と同じく十一時半頃。御節料理を無事に食べ終えた。餅も半分は食べ終えた。昨日のコント番組を見直して怠惰に過ごしたのち、夕方四時頃に漸く今年初の外出。初詣として、先ずは愛媛県護国神社へ参詣。賑わっていた。今年も靖国暦を購入。贈物にする分も含めて二冊。参拝を終えたあとは真直ぐ東へ進み、道後湯之町商店街の雑踏を通り抜け、重要文化財道後温泉本館」前で方角を変えて、道後湯月八幡宮「伊佐爾波神社」へ参詣。石段を一気に登り、参拝し、回廊を一周して、夕闇に浮かび上がる朱塗の社殿の華やかさを拝観したあと、神社暦を一冊購入。
伊佐爾波神社と愛媛県護国神社三津浜厳島神社の三社を「熟田津三社」と云うらしい。伊佐爾波神社の社内に掲示されていたポスターで知った。
伊佐爾波神社は八幡宮であり、八幡神社は軍の神で、国境の守護神。これに対して厳島神社は海上運輸の神で、海の守護神。そして護国神社は国家と郷土の守護神。ゆえに三社が手を携えれば、国民を陸上でも海上でも防衛し、国民文化、国体を護持すると解される。
しかも伊佐爾波神社は松山城丑寅(北東)の道後にあって城下の鬼門を守り、その遥か西方にある三津浜には厳島神社があって港を守り、二社の間の、城の北には護国神社があって、三社が殆ど一直線上に並んでいるのも興味深い。
そして熟田津(にぎたつ)が、同盟国の支援のため出陣する軍を見送るべく、斉明天皇が伊予の熟田津の石湯(いはゆ)へ行幸なさったとき、同行した額田王が詠い上げた名歌「熟田津に船乗せむと月待てば潮もかなひぬ今はこぎ出でな」(『万葉集』巻一の第八)で知られる旧い地名であるのは云うまでもない(佐々木信綱編『新訂 新訓 万葉集』上巻[岩波文庫]46頁)。
今日は三社の内の愛媛県護国神社と伊佐爾波神社へ参詣したが、こうなると三津浜厳島神社にも参詣しておいた方が良いのかもしれない。検討しよう。
参詣を終えて伊佐爾波神社の石段を降りたあと、大型食料品店へ寄って紅白の饅頭とウドン等を購入して帰宅。