仮面ライダー鎧武第三十五話

平成「仮面ライダー」第十五作「仮面ライダー鎧武」。
第三十五話「ミッチの方舟」。
今回、ついに主人公の葛葉紘汰(佐野岳)は呉島光実(高杉真宙)の正体を知らされた。呉島光実が自ら正体を明かしたのだ。そして白いアーマードライダーの偽者の正体が己であることをも明かした。しかもその一部始終を、呉島貴虎(久保田悠来)は陰に隠れて目撃していた。これがどのような結果を生じるのかは次週に持ち越されたが、今は葛葉紘汰と呉島光実の対峙を凝視しなければならない。だが、全ての前提として、先ずは劇中の世界の現状を概観しておく必要がある。
ヘルヘイムの森から来た緑色のオーバーロード、レデュエ(声:津田健次郎)は、白色のオーバーロードの王、ロシュオ(声:中田譲治)が不当にも独占している「知恵の実」を譲り受けるための策として、ロシュオの「王妃」を復活させるための計画を推進している。旧ユグドラシルタワー内の研究所に沢芽市民を集め、自身の開発した機械を用いて沢芽市民の身体から生命力を抜き取って「王妃」の亡骸に注入しようとしているのだ。
その間、日本の沢芽市内がヘルヘイムの森の「エイリアン」に占拠されたことを世界の危機と認識したアメリカ合衆国大統領は、沢芽市へ向けて戦略ミサイル数本を打ち込んだが、ロシュオは、レデュエによる「王妃」復活の計画を邪魔させたくなかったので、それらのミサイルを全てアメリカ大陸へ跳ね返し、超大国アメリカは壊滅した。しかも慈悲深い王であるロシュオは、滅びゆく人類を長期間にわたって苦しめるよりは短期間で一気に苦しみから解放してやりたいと考え、世界中にクラックを発生させて、ヘルヘイムの森の植物に世界を浸食させ、インベスの大群に世界を侵略させた。もはや異常事態は沢芽市内だけに閉じ込められているのではない。世界を覆い始めたのだ。
そうした中で、レデュエと親しくなることに成功した呉島光実は、旧ユグドラシルの「アーク計画」に代わる新たな「方舟計画」を進めようとしていた。レデュエは(ロシュオとは異なり)、地球上の人類を早めに滅亡させるよりは維持しながら弄んだ方が面白かろうと思っていて、その間、世界の管理を呉島光実に任せる意であることを彼に約束していた。冷静に考えるなら邪悪で狡猾なレデュエの口約束なんか信頼するにも値しないはずだが、愚かな呉島光実はそれを信じ込み、今後は己こそが人類の支配者になるのであるとの無邪気な「希望」を抱くに至っている。そこで彼は、人類の中で誰が救済されるかを全て己が決定することに決めた。「要る人間」と「要らない人間」を判別する権利を、彼が握るのだ。「ミッチの方舟」に他ならない。
しかし、これは旧ユグドラシルの「アーク計画」よりも非道であると云うほかない。ユグドラシルは人類の七分の六にあたる六十億人の削減という計画を、医療と福祉を売るグローバル大企業としての影響力によって実行しようとしていた。換言すれば、ユグドラシルが供給する薬品や飲食料品や医療や福祉の内、安価な商品とサーヴィスに頼るほかない大部分の人々を、身体の健康を徐々に蝕んでゆくことで早めに死に至らせようとしていたということではないだろうか。恐ろしい話ではあるが、反面、「削減」の手段はあくまでも安楽死であるし、判別の方法は貧富の格差を基準にしているとはいえ一応は無差別である点でも、良心の欠片は微かに残っていると認められよう。だが、呉島光実の「方舟」は、彼にとって邪魔にはならない人、彼にとって都合の良い人、彼の身近な人、もっと云ってしまえば、彼の愛欲の対象と、その満足のために必要な人だけを救済しようとしている。完全に独裁者ではないか。しかも、ここには将来の展望が全くない。仲間だけを残して、どうやって生きてゆくのか。誰が労働し、公共インフラを整備し維持管理し、教育や介護や看護や治療を担うのか。彼は己の愛する人を己の家来にするつもりであるのか。何も考えていないとしか云いようがない。こんなにも愚かな、無責任な話はない。
しかるに早速この権力は行使され始めた。レデュエがロシュオの「王妃」を復活させるための燃料として旧ユグドラシルタワー内に集めた捕虜の内、ラット(小澤廉)とリカ(美菜)の二名のみを救済し、葛葉晶(泉里香)を救済しなかった。ラットとリカは、呉島光実の愛欲の対象である高司舞(志田友美)の大切な友であり、高司舞を釣るための有効な餌になり得るから、救済の対象になったのに対し、葛葉晶は、高司舞の大切な友の姉であり大切な友でもあるとはいえ、呉島光実の最大の憎しみの対象である葛葉紘汰の唯一の肉親であり最愛の姉であるから、救済の対象にはなり得なかった。そしてその他の大勢の人々は、そもそも呉島光実にとっては無関係の、何の興味もない他人であるから救済されようがなかった。どこまでも冷酷な話ではないか。
ところが、この「ミッチの方舟」は早くも頓挫しつつある。なにしろ救済の第一の対象である高司舞に、断固拒否されてしまったのだ。高司舞は、葛葉紘汰が今なお抱き続けている全人類の救出への「希望」に共感し、葛葉紘汰と一緒に戦いたいと考えている。しかも高司舞は、特定の選ばれた人間だけを救済するという冷酷な差別の思考それ自体を嫌悪し、反発している。そもそもユグドラシルの「アーク計画」に反発していた高司舞が、呉島光実の「アーク計画」に賛同するはずがないのだ。
ところが、どこまでも愚かな呉島光実は、高司舞と己とを分け隔てているのは「希望」の有無一つだけであると考え、ゆえにこの「希望」を打ち砕いてしまえば、高司舞は己に靡くはずであると思い込んだ。「希望」を粉砕する方法は唯一つ、葛葉紘汰の「希望」を打ち砕き、葛葉紘汰を殺害することに他ならない。呉島光実はそのように思い込んで、早速、行動に移した。
こうして今回の話の終盤、葛葉紘汰と呉島光実の対峙の場面が来たわけだが、ここにおける呉島光実の演説を彼の本心と信念の吐露と見るのは、余りにも甘い見方であるように思われる。なぜなら今までの話の展開に明らかに反していて、支離滅裂でさえあるからだ。
呉島光実は、角居裕也(崎本大海)の死に対する葛葉紘汰の反応に失望したことを述べた。友を知らぬ間に殺害していた事実を知って自分自身を責めるよりは、むしろ怪物と化した友を犠牲にしてでも大切な高司舞を救出できた己の力を誇るべきだったのだ!そうすれば「決断力と意志の強さ」を磨くこともできて、「人類を救う英雄」にもなり得たはずだ!と呉島光実は主張して葛葉紘汰を責めたが、これはあり得ない話だろう。なぜなら、友を犠牲にして得ることのできる「決断力と意志の強さ」というのは、要するに「アーク計画」に平然と邁進することのできるだけの、冷たさと厚かましさでしかないからだ。呉島光実の云う「人類を救う英雄」というのは、「アーク計画」に何の躊躇もなく参画し、むしろ喜んで推進して己の欲望を満たそうとする人物のことだ。それは彼自身のことに他ならない。葛葉紘汰がそのような人物ではないこと位、呉島光実も知っているはずだ。実際、彼は角居裕也の死の真相を早くから知っていたが、その事実を葛葉紘汰には一切明かそうとはしなかったし、葛葉紘汰には知られてはならないとも確信していた。葛葉紘汰は友どころか他人をも犠牲にはできない人物であるからだ。角居裕也の死の真相を知ることを契機に、「アーク計画」に参画する強さを獲得して欲しかった…という呉島光実の主張は、今日になって思い付いた嘘話でしかないと見なければならない。呉島光実は他人の生殺与奪の権利を握ることのできる「アーク計画」こそが「希望」であると思い、それに靡かなかったどころか邪魔し続け、しかも高司舞をも抵抗勢力に引き込んでしまった点で葛葉紘汰を許せないと考えている。だから、「アーク計画」を引き受けないばかりか反発し続けた「弱さ」を非難するために、このような珍妙な嘘の「本心」を吐露してみせただけのことだ。彼の言に真実は一つもない。
敢えて云えば、高司舞を守ることのできる男、高司舞に相応しい男として葛葉紘汰を認め、尊敬していた時期もあったという言には一片の真実がないわけではない。だが、それは呉島光実がヘルヘイムの森の真実を知る前までの話だろう。それまでは呉島光実も兄に反発し、ユグドラシルを疑って、葛葉紘汰に同調していたから、確かに葛葉紘汰を認めていたことが認められる。しかしヘルヘイムの森の真実を知らされ、ユグドラシルの「アーク計画」に参画し始めて以降の呉島光実は、日を追う毎に権力への欲求を強め、同時に、権力に靡きそうにもない葛葉紘汰を軽蔑し、危険視、敵視し始めた。これが真相ではないか。今回の呉島光実の演説は、嘘ではない部分も皆無ではないにしても、時系列を滅茶苦茶にして話を作り上げることで、尤もらしく響きながらも真実を全く表さない完全な嘘話と化している。
しかも呉島光実は葛葉紘汰を幾度も蹴ったり殴ったりしながら「あなたは都合の良い楽観に流されて現実から目を背け、愚かな過ちばかり繰り返すようになった」と責め苛んだが、どう見ても、「都合の良い楽観」に流されているのは呉島光実自身ではないか。レデュエが己の盟友であり、レデュエが人類を支配する権利を己に保障しているという彼の思い込みは根拠のない楽観でしかない。レデュエはクラックを開けてユグドラシルを居城として以降、ロシュオの「王妃」を復活させるための機械の開発から、復活のための燃料の調達、さらには全世界の放送電波の占拠、全世界の人類に対する宣戦布告まで色々なことを次々に実行しているが、その間、呉島光実の助力を得た場面は一つもなかったように見受ける。呉島光実は己の欲望のためにレデュエの力を借りようとして、実際、捕虜の分別に関して己の要求を認めてもらっているから、呉島光実はレデュエを必要としているが、レデュエは呉島光実を全く必要としていない。仮にこの関係が上手く続いたとしても、それは結局、呉島光実が自ら選び抜いた愛する人々をレデュエのために奴隷として使役する辛い役割を担うということにしかならないだろう。レデュエが云っていた「玩具」とは、実は呉島光実のことではないのか。