仮面ライダー鎧武第四十話

平成「仮面ライダー」第十五作「仮面ライダー鎧武」。
第四十話「オーバーロードへの目覚め」。
主人公の葛葉紘汰(佐野岳)が遂に目覚め、自覚し、決意した。
彼に事態の真相を教えたのは、彼の力の恐ろしさを逸早く認識し得た緑色のオーバーロード、レデュエ(声:津田健次郎)だったが、教えるために採った手段は「催眠術」で「未来」の「現実」を「悪夢」として見せることにあり、そこには彼を自身の陣営に引き込みたいという思惑に基づいた誘惑のための脅迫が潜んでいた以上、半ば真実であっても半ば嘘であると見なければならない。
とはいえ同じとき、ヘルヘイムの森の洞窟の奥の王城では、白色のオーバーロードの王、ロシュオ(声:中田譲治)とDJサガラ(山口智充)が、高司舞(志田友美)を相手に「知恵の実」に関する真実を説き明かしていた中で、葛葉紘汰に運命付けられた残酷な二者択一をも明らかにしていた。これはもちろん真実であるに相違ないから、それによってレデュエが見せた「悪夢」における半ばの真実を確かめることができる。
葛葉紘汰は、「蛇」と形容されるDJサガラを経由してロシュオから授けられた「知恵の実」の力の一部を「極アームズ」という形で使用し続けてきたことで、着実に、新たなオーバーロードの王者と化しつつある。食欲を失っていたのは人間の感覚を失おうとしていることの徴候であり、オーバーロードの勇者たちを次々に打倒してきたのは並のオーバーロードを凌駕する神のような力を獲得しつつあることの現象であると判明した。彼が向かおうとしている先は、旧世界の破壊神、新世界の創造神に他ならない。
現在の世界を破壊して新しい世界を創造したとき、彼は世界の主になる。しかし彼は現在ある世界を守りたいと願望している。もし彼が己の力を、旧世界を破壊するためではなく保全するために用いた場合、存在を許された世界は彼の創造した世界ではないから、彼は世界の主にはなり得ないが、世界の主にもなり得る恐るべき力の持ち主である事実は変わらない。創造の神ではないにもかかわらず神のような力を有する者。それを人は悪魔と見るのではないのか。葛葉紘汰が「知恵の実」の力によって己の「希望」を実現し得たとき、彼は居場所を見失うほかなくなるに相違ない。
それでもなお葛葉紘汰は世界を守るのか。それとも彼は旧世界を破壊して新世界を統治するのか。
こんなにも恐ろしく残酷な二者択一を、DJサガラは葛葉紘汰に、何の説明もなく押し付けてきたのだ。もちろんDJサガラも警告を発しなかったわけではない。しかし何に対して警戒しなければならないのかを何一つ説明しないまま発せられる警告に、何の意味があるというのか。そんなものは警告でも何でもない。事態を理解して未来を想像するために用いることのできるような情報を何も与えないまま、DJサガラは葛葉紘汰に、眼前の巨大な苦境を解決して世界を救済するために用いることのできそうな道具を見せつけ、それを用いるかどうかの二者択一だけを与えてきたに過ぎないではないか。余りにも無茶な話だ。だから高司舞はDJサガラに対して怒り、涙を流しながら非難した。なにしろ高司舞には既に葛葉紘汰の最後の選択の行方も容易に予想できてしまうからだ。葛葉紘汰が現在ある世界の救済のために己を犠牲にするに決まっていること、今まで常にそのようにして生きてきたことを、幼馴染みの高司舞は知っている。
実際、同じとき葛葉紘汰は確かにそのように選択していた。だが、それは何の考えもなく何の苦悩もないまま能天気に選択されたのではなかった。救済することの代償として世界に居場所を失うことが耐え難い孤独であり苦悩であり「悪夢」であることを、葛葉紘汰はレデュエの「催眠術」によって疑似体験していた。そこにおいて葛葉紘汰が見た未来の旧世界には、アーマードライダー鎧武に変身して彼に対峙する角居裕也(崎本大海)がいた。鎧武=角居裕也は執拗に葛葉紘汰を攻撃し、追跡し、葛葉紘汰は逃げ続けた。どこまでも果てしなく逃走し続けるしかなかった葛葉紘汰の、慌て、怯え、苦しみ、悩み、悲しんでいた姿には、第一話から今日までの四十話を見続けてきた視聴者の誰もが、心を抉る辛さを覚えざるを得なかったろう。
しかも彼は苦悩の只中に一つの悟りを得たのだ。思い起こせば、現実には、白虎のインベスと化した角居裕也を、鎧武に変身した葛葉紘汰が知らぬ間に退治してしまっていたが、あのとき何か狂いが生じていたなら、葛葉紘汰が白虎のインベスと化して鎧武の角居裕也に退治されていたのかもしれない。そして角居裕也がこのように健在であるような世界があり得るなら、たとえ己が追われる惨めな身になろうとも、それも必ずしも悪くはないのかもしれない。葛葉紘汰はそのように悟り始めていた。
やがてレデュエやデュデュオンシュに誘惑されて新たな王として擁立されようとした葛葉紘汰は、遂には白虎(!)のオーバーロードと化して、友に反撃しようかとしたところで意を決し、友に背を向けてオーバーロードに対峙し直し、己が望んで救済した世界を守るため、改めてオーバーロードに戦いを挑み始めた。彼自身が既にオーバーロードであるにもかかわらず、オーバーロードから世界を守るために戦うことを決意した。その瞬間、彼はオーバーロードの姿から極アームズのアーマードライダー鎧武の姿へ変貌した。レデュエが仕組んだ「悪夢」の世界内で葛葉紘汰がこのように選択したことは、レデュエには信じ難い展開だったらしい。慌てて退散せざるを得なくなり、葛葉紘汰は「悪夢」から解放された。
覚醒し、決意した葛葉紘汰の身体からヘルヘイムの植物が瞬時に繁殖したことは、彼が今や新たな神の力、新たなオーバーロードの王の力にまで覚醒したことを表していよう。今や彼は人間ではなく、人間を守る者に他ならない。
力への覚醒と「悪夢」からの覚醒の間の葛葉紘汰の言は、記録されるに値する。「誰が仲間か?誰のための世界か?そんなことはどうでもよい」。「ここには死なないでいて欲しかった奴がいた。そしてまだ生き延びて欲しい人たちが残っている」。「俺の味方かどうかなんて関係ない。守りたいものは変わらない」。「たとえ俺自身が変わり果てたとしても」。「犠牲なんかじゃない。俺は俺のために戦う。」「俺が信じた希望のために。俺が望んだ結末のために」。「そうだ。俺は、後悔なんてしない」。
葛葉紘汰の「悪夢」の最後に、信念を貫くことを決意して戦いを再開した彼のために、角居裕也が笑んだのは意味深い。角居裕也は葛葉紘汰の友であり、鎧武は葛葉紘汰の第二の姿のようなものであるとすれば、葛葉紘汰が見た「悪夢」の中で、鎧武になって皆を守ろうとしていた角居裕也はもう一人の葛葉紘汰に他ならない。「なぜなら友とはもう一人の自己に他ならないからである」(heteros gar autos ho philos estin)[アリストテレース『ニコマコス倫理学』1170b6-7]。葛葉紘汰の決意に穏やかに笑んだ角居裕也は、葛葉紘汰の決意に葛葉紘汰自身が笑んでいることを表しているのではないだろうか。
今朝の第四十話の大半は、葛葉紘汰が見た「悪夢」の中の出来事で占められた。それを見せていたレデュエはそれを「現実」であると形容したが、もちろん現実そのものであるわけではなく、半ば誘惑のための脅迫を意図した嘘であるに相違ない。しかしレデュエにとって都合のよい設定に基づく冷酷な「悪夢」の中でも、葛葉紘汰は己の唯一の信念を貫き、決意の強さによって「悪夢」を打破した。誘惑に負けて邪悪な覚悟を決めることで化け物と化した人間もいたのに対し、葛葉紘汰は誘惑を跳ね除けて信念を貫く覚悟を決めることで、化け物と化しながらも化け物であることに打ち克った。
葛葉紘汰の対極に位置するのが、誘惑に負けて邪悪な覚悟を決めることで化け物と化した呉島光実(高杉真宙)であるのは云うまでもない。そのことを最も鋭く見抜いてきたのは、力の強さと弱さを常に正確に見定める駆紋戒斗(小林豊)だった。彼は呉島光実を「ただのバカ」であると見定めたのだ。
駆紋戒斗には今回もう一つの功績があった。湊耀子(佃井皆美)とザック(松田岳)を率いて旧ユグドラシルタワーの中枢へ漸く潜入した彼は、葛葉晶(泉里香)、ラット(小澤廉)、リカ(美菜)や多くの人々がレデュエの奇妙な機械に組み込まれているのを発見したが、ザックがラットやリカの身体から機械を外そうとしても外せないでいた中、その機械を勢いよく蹴り飛ばしただけで機械を止めることに成功してしまい、人々皆を無事に解放し得たからだ。果たしてそうなることを予測できていたのかどうか定かではないが、極めて大きな戦功であると認められよう。
他方、途中までは葛葉紘汰と行動を共にしていた「プロフェッサー凌馬」こと戦極凌馬(青木玄徳)は、途中から姿をくらまし、一人、ユグドラシルタワー内に放置されていた己の司令室を再起動し、留守中のユグドラシルタワー内で何が起きていたのか、その全貌を記録した映像を調査し始めた。そこには呉島光実がレデュエからオーバーロードの王ロシュオのことや「黄金の果実」のことについて聞かされていた場面も残されていた。ユグドラシルタワー内のあらゆる場所で起こった出来事を全て録画した映像を全て見終えるまでにどれだけの時間を要するのか分からないが、全てを見終えた暁には、今後の戦略を練る上で参照し得る情報を数多く獲得できるのかもしれない。