ケチと無駄使い/無反省の謝罪/ロボニャン陥落とツチノコパンダ再生

ニコニコ動画の「テレビ東京あにてれちゃんねる」(http://ch.nicovideo.jp/ch7)内の「妖怪ウォッチ」チャンネル(http://ch.nicovideo.jp/youkai-watch)で最新の第七十二話の配信あり。
この番組では一話を三話で構成することが多いが、三話の全てにおいてケータが主人公で、ウィスパーが常にケータと一緒にいて、ジバニャンも三話中二話ではケータと一緒にいて、しかもジバニャンが一度も召喚されないというのは、意外に稀ではないだろうか。否、今回が初めてではないのか。その意味で今回は新鮮だった。
妖怪ドケチングの事件(「持ってても出しはせんぞドケチング」)。
ケータの母君は家計を健全に維持するために常に節約に努めている。そのことは今までの話から明らかだが、今回は節約を極めるため、虫眼鏡で覗かなければ見えない程にも極小のハンバーグを拵えるという驚異の離れ業をなし遂げた。あんなにも見事な作品を創造するには、一体どれだけの無駄を要したことだろうか。極小ハンバーグを食べるときケータが用いていたフォークも細く小さかった。
ドケチングを退治するためにケータが召喚したのはムダヅカイ。この組み合わせは的確だった。ケチの本質は節制ではなく、私利私欲の追求でしかない。ゆえにバブル景気を謳歌するムダヅカイの裏返しでしかない。そう考えると、現実の現代史においてバブル景気が緊縮財政へ一転したのは当然だったと判る。
妖怪あやまり倒しの事件。
ドミノ倒しのように謝り倒して、却って謝られる側を悪役に見せかけてしまう恐ろしい妖怪。カンチやフミカがそれに憑かれてケータに対して謝り倒し、ケータを危機に陥れた。
あやまり倒しを退治するためにケータが召喚したのはグレるりん。この選択も的確だった。なぜなら両方とも「ワル」であるから。些細なことでも大袈裟に謝罪することは、何も反省してはいない点において、甚大な害をなしても決して謝らないことに等しい。
こうして見れば、妖怪ドケチング事件でも妖怪あやまり倒し事件でも、あたかも相反するかに見えて実は似たもの同士である妖怪を対戦させ、云わば毒で毒を制する形で勝利を収めるのがケータの戦略であると云うことができる。実に上手い。
妖怪迷い車の事件ではそうではなかった。
人を迷わせる迷い車に対抗して、ケータはロボニャンを召喚。しかるに決して迷うことがないはずのロボニャンが迷い始めた。妖怪でありながら最先端のテクノロジーにばかり頼り切っているのは、もはや妖怪ではないのではないのか?という迷いは甚だ深刻。迷うことを知らない者が迷い始めると実に厄介であるということだろう。ケータまでも、友達妖怪をさらに召喚してよいかどうか迷い始めたが、この迷いは妖怪ぎしんあん鬼に憑かれたときの疑心暗鬼に比較すれば大したことはなかった。
ケータの危機を救ったのはジバニャン。ケータに代わってジバニャンが妖怪メダルを選択し、妖怪ウォッチを操作してケータに友達妖怪を召喚させた。これは第五十六話の妖怪うらやましろう事件以来、久し振りの展開。召喚されたのはジバニャンを傷付けたことのあるツチノコパンダ。
ツチノコパンダは第五十一話ではツチノコかパンダか、何れを主として生きてゆくべきか悩んでいたが、あのあと心を入れ替え、今や白か黒かを明確にできる性格になったらしい。迷っていた時代をくぐり抜けて迷わなくなったところに強さがある。ゆえに迷い車とツチノコパンダは、似たもの同士であるかに見えて実は正反対の妖怪。ここでのジバニャンの選択も実に的確だった。的確ではなかったのは、迷いを脱したケータの父君の自信満々の選択の結果。そこはツチノコパンダの管轄外だったろう。