ドラえもん阻止の社会

休日。夜、データの複製に関して色々検索してみるに、技術の進展は、その技術を用いた行為を禁じる法改正によって、実に呆気なく停滞してしまうものであるらしい。無論そのような禁止を行うことにはそれなりの必要性があるには違いない。
しかし、ここで「ドラえもん」に目を転じるなら、複製ということ一つ取ってみても、「ドラえもん」には実に様々な対象を複製する道具が登場する。例えば、テレヴィアニメ「ドラえもん」の第一話となった「ノビタランド」は、街中の商店や家屋を縮小複製して、小さな新しい街を作る話だったが、実のところ、商店や住居の複製という行為は、映像DVDや音楽CDの複製なんかよりも遥かに深刻な問題を孕んでいるに相違ない(どこでもドアでフランスへ行ってルーヴル美術館を縮小複製してくれば、小さなルーヴル美術館を丸ごと手に入れることができる!というのは夢のような話ではあるが、これは精巧な贋作を大量に流通させる手段にもなり得る)。「ドラえもん」で描かれる未来の世界の科学技術は、多くは魔法のような、夢のようなものであり、ゆえにそもそも科学では達成し得ないのだろう。だが、現実が直面するのはそれ以前の問題であるのかもしれない。科学技術の進歩の限界という問題の前に、先ずは科学技術の進歩への法律による規制という問題に遭って、実現どころか研究の段階で阻止されてしまうのが現実ではないだろうか。
夜遅くまで起きていた所為で翌朝九時半頃までは起きることができなかったが、休日であるので問題ない。ゆえに六月二十三日午後四時五十二分に記之。