橘真琴と芹沢尚

 テレヴィアニメ「Free!」を見たことがなく原案の小説「ハイ☆スピード!」を読んだこともないが、映画「ハイ☆スピード!Free! Starting Days」は、辛うじて八回だけ見た。その限りで感じたことを書くのも無意味ではないだろう。
 観る度に考えさせられるのは、芹沢尚がどうして橘真琴に「意地悪な質問」をしてしまったのか?という点についてだが、思うに、(1)橘真琴がリレーに熱心になれないでいる原因を除去しておきたかったからであるにしても、(2)やはり自分に近いものを感受したからこそではなかったろうか。
(1)
 七瀬遙と橘真琴の関係が特別であることを芹沢尚が見抜いたのは、一年生の水泳部入部の初日のことだったろう。部長の桐嶋夏也が七瀬遙に勝負を挑んだ急展開に慌てながらも七瀬遙のシャツを拾い上げて勝負の行方を見守り、引き分けに終わった勝負のあとにはプールの中の七瀬遙に手を差し伸ばして引き上げた橘真琴。その様子を見た瞬間に、芹沢尚は橘真琴が何時でも七瀬遙と一緒にいたいと思っているのだろうことを見抜いたに違いない。だが、そのことが問題であるわけではない。
 その後、リレーの練習を始めた日、七瀬遙がリレーに前向きではないことの理由を橘真琴に尋ねた芹沢尚は、安定感に満ちた橘真琴の心の中の、微かに不安定な部分を感じ取ったように見受ける。七瀬遙は小学生時代に一緒にリレーを泳いだ仲間こそは最高のチームであると思い、その喪失を寂しく思っているが、橘真琴は、同じように寂しく思いながらも、七瀬遙と一緒にいるから寂しくはないとも思っている。だから橘真琴の心は安定しているが、この安定感がある限り、橘真琴がリレーに熱心になることは難しかったろう。なぜなら七瀬遙がリレーに熱心になれない間は、橘真琴も熱心になりようがないから。
 橘真琴を奮起させるためには、橘真琴が単に七瀬遙と一緒にいたいという理由だけで泳いでいるわけではなく、七瀬遙と一緒に泳ぐこと自体を望んでいるのでなければならない。七瀬遙か?水泳か?という二者択一である必要はなかった。むしろ橘真琴が七瀬遙も水泳も両方を大切に思っていること、そしてそのことを確り自覚することを、芹沢尚は期待していたに相違ない。
(2)
 この期待の前提は、七瀬遙が水泳そのもののような人であり、七瀬遙への愛がそのまま水泳への愛でさえあること、そして橘真琴がそのような意味で七瀬遙を大切に思っていることにあったろう。多分、芹沢尚は橘真琴と七瀬遙の関係がそのようなものであることを確信していたに相違ない。なぜなら芹沢尚と橘真琴との間には、似たところがあると見えるから。
 もともと芹沢尚は水泳に特に興味があったわけでもないようだが、桐嶋夏也に誘われて無理矢理に水泳部に入部させられ、今や完全にのめり込んでいるらしい。その実力は、桐嶋夏也からも対等に認められる水準にあるようで、そこまで到達し得た努力の程も想像されるが、そこまで到達し得ると予想し得ていた桐嶋夏也の目利きの程にも驚くしかない。同時に、芹沢尚は周囲の人々の様子を詳しく観察し、感情を洞察することにも長けていて、「教育係」としても秀でている。病のゆえに選手としての活動を休止しているから仕方なく「教育係」を引き受けているのではなく、「教育係」そのものを楽しんでいる。そしてそのような性格のゆえに、芹沢尚は親友の桐嶋夏也に対しても洞察力を発揮できてしまう。
 しかし、桐嶋夏也が弟の桐嶋郁弥と喧嘩して落ち込んでいたとき、その感情や事情を正確に読み抜いてみせた芹沢尚に対する桐嶋夏也の「どうしてバレてるんだよ」という言を聴くと、即座に思い出さざるを得ない。七瀬遙に対する橘真琴の「ハルの考えることは何でも分かるよ」という言を。そしてそう考えるとき、芹沢尚が桐嶋夏也に誘われて、嫌がりながらも水泳部に入部するに至った理由も、案外、桐嶋夏也の泳ぐ姿に魅了されていたからではなかったか?と想像されてくる。
 芹沢尚が橘真琴に、自身に近いものを感じ取っていたとするなら、橘真琴の内面に潜んでいた悩みを芹沢尚も経験済だったのかもしれないし、同時に、解決に向けて橘真琴に何を期待してよいのかをも芹沢尚は既に知っていたろう。だからこそ、先ずは一度はあんな「意地悪な質問」を与えてでも、覚醒を促さなければならなかったに違いないし、覚醒を確信していたのも間違いない。