今治市河野美術館の伝狩野永徳筆雲龍図屏風

午後一時四十分頃に外出。二時二十分頃にJR松山駅を発って今治駅に着いたのは三時頃。徒歩で今治市河野美術館へ。現在開催中の「館蔵品屏風展」&「アラカルト展」を鑑賞。
作品毎に小さな解説カードを作成して配置していたのが素晴らしいが、生憎、重要な幾つかの作品については品切れになっていた。多量に余っているものもあって、どうやら多くの来場者は作品によってカードを取ったり取らなかったりしているようだが、どうして全部集めようとはしないのだろうか。
狩野探幽や狩野常信の作品について作者名の前に「伝」が入っていたが、何れにも落款が入ってる上に作品も悪くはなく、しかも作品解説文では何れも探幽の作、常信の作として説明されていて、特に常信については「伝」をわざわざ入れたのがどういう理由によるのか今一つ理解できなかった。真贋の論争に巻き込まれるのを予防する意図があるのかもしれないが、そうであるなら理解できる。
この展覧会の一番の見所は伝狩野永徳州信筆「雲龍図屏風」で、裏面の銀箔の上に描かれた狩野永悳立信筆「波涛図」をも観ることができるように、展示室内の中央に(ケースにも入れず裸のまま)安置したのがこの美術館のこの作品では初めての試みだろう。永徳も永悳も「エイトク」と訓まれるから、桃山時代のエイトクと幕末明治のエイトクの協演の観を呈する。この雲龍図屏風は、確か辻惟雄著『戦国時代狩野派の研究』でも触れられていた。今回あらためて間近に観照するに、いかにも狩野永徳風の力強い構図や金泥の華麗な効果は素晴らしいが、筆墨に力がなく、フォルムが頼りない。薄い墨と濃い墨とを無造作に重ねてフォルムをなぞりながらもフォルムがぼやけたままであるばかりか、むしろ判りにくくなってしまっている箇所もあり、無意味な濃淡も見える。波を描く線にも力がなく、裏面の波涛図に劣る。これらは手本を写し間違えたのだろうことを想像させる。ゆえに「永徳筆」ではなく「伝永徳筆」であることに説得力がある。
美術館を出たとき既に五時四分。閉館時間を過ぎていたらしい。今治駅へ戻り、五時五十五分発の特急列車を待ったが、到着したのは六時二分だったろうか。松山駅前から市内電車に乗車し、道後まで戻り、大型食料品店に寄って帰宅。
移動中に半分まで読み進めた『ポストモダンを超えて』を夜中に読み終えた。同書の後半における自称保守主義者の山崎正和と近現代美術史家の高階秀爾の対立は、今日の所謂保守主義が強固な西洋中心主義でありグローバリズムであることをあらためて浮かび上がらせていて実に面白かった。