Free!ES第十二話と第十三話まで見終える

夜、高島屋で香を買い、銀天街の茶葉店で知覧茶を買ったあと、久し振りに「らしんばん」松山店にも寄った。学ラン姿の七瀬遙と橘真琴の小さなフィギュアを購入。両方とも千円。半年前だったら三百円位で売られていたろう。映画によって人気が再燃したと云えるのではなかろうか。
そして今宵もニコニコ動画の「Free!ES」公式チャンネルの視聴。
第十二話と第十三話(最終回)。これで最後。
第十二話のオーストラリア一泊旅行こそは「Free!ES」の監督が最も描きたかった話であるのかもしれないが、必然性が見えない。そもそも、「泳ぎたいから泳ぐ」という信念よりも「世界で勝つために泳ぐ」という感情の方が「強い思い」である…という前提が、何か間違っているとしか思えない。
原案にされた小説『ハイ☆スピード!』の冒頭には、七瀬遙の内面に確立されているはずの思想が提示されている。「水を拒むのではなく、受け入れる」。「水を感じ取る」。「自分が感じたものを疑わない」。「自分を信じる」。このように「生きている」水と一体化したいということが「泳ぎたいから泳ぐ」ということの意味であり、七瀬遙が泳げなくなることがあるとするなら、それは水に生命を感じ取ることができない場合だろう。一体、こんなにも「強い思い」が他にあるのだろうか。注意すべきは、水の生命を感じ取ることの内には、同じ水の中を泳いでいる他の人間の動きのみならず感情をも感じ取ることが含まれているという点で、それだからこそ、七瀬遙は橘真琴と一緒に泳ぎたいのであるし、どんな強敵にも勝りたいと思うことにもなる。戦う気のない七瀬遙が戦いに強い理由はそこにある。
七瀬遙の信念、思想に、「Free!ES」の監督は興味を持ち合わせていなかったとしか思えない。
七瀬遙がオーストラリア旅行の誘いに応じたのは、(第十一話の後半で)橘真琴と喧嘩してしまい、傍にいるのを辛く感じたからであると説明された。そして彼が橘真琴と喧嘩したのは初めてであると説明された。この点でも映画「ハイ☆スピード!」は「Free!」と「Free!ES」を覆している。
第十三話では、橘真琴、葉月渚、竜ヶ崎怜、そして七瀬遙のメドレーリレーが描かれた。それぞれの泳ぐ姿に、イルカ、シャチ、ペンギン、蝶の舞う姿を重ね合わせるという演出があったが、明らかにイメージのズレがある。「Free!」の設定では、七瀬遙がイルカ、橘真琴がシャチ、葉月渚がペンギン、竜ヶ崎怜が蝶ではなかったのか。ズレの意図が見えない。しかし仮にイメージのズレがなかったとしても、泳ぐ姿そのものが殆ど描かれようともしなかったのはあまりにも物足りない。七瀬遙の姿に蝶を重ね合わせたあと、他の三人の姿も重ね合わせたのは四人ティームの一体感を表現するためだったことが明白だが、映画「ハイ☆スピード!」を観たあとには到底満足できる演出ではない。なぜなら映画「ハイ☆スピード!」のメドレーリレーでは、橘真琴、桐嶋郁弥、椎名旭、七瀬遙の四人それぞれが泳ぐ姿のみを徹底して描き込んで、それで存分にティームの一体感を表現し切っていたから。