仮面ライダーゴースト第四十九話

平成仮面ライダー第十七作「仮面ライダーゴースト」。
第四十九話「無限!人の力!」。
事実上の最終話。
グレートアイを飲み込んだガンマイザーを打倒し、グレートアイを解放した功績を認められた天空寺タケル(西銘駿)は、再び、グレートアイの前に召喚され、願い事を一つだけ叶えられる資格を得た。
面白いことに、グレートアイは天空寺タケルが今や既にグレートアイに近い存在と化しつつあることを指摘し、今さら天空寺タケルの願い事を聞こうとすること自体を、無用と感じている様子だった。しかし、これに対する天空寺タケルの応答は見事だった。またしても彼は己の復活ではなく、むしろガンマイザーによって眼魂にされてしまった大勢の人々の復活をこそ望んだ。
しかるに見事ではなかった点もある。彼が望んだのが人々の復活だけで、街の復旧も復興も望まなかった点に他ならない。街の復旧なんか無用であると彼が断言したのは、人間には「無限の可能性」があるから、人間さえ生きていれば街も家もどうにかなると思ったから。だが、実際には、破壊された街の復旧がどんなに難しいかを、相次ぐ大災害に見舞われている現在の日本人であれば知っているはずだ。家一軒を再建することさえも容易ではない(なぜなら「自己責任」論を振りかざされてしまうから)。この物語を放送しているのはテレビ朝日であるし、やはり天空寺タケルのこの無責任な楽観論には、庶民生活が立て直されたり維持されたりすることに対する朝日新聞流の憎しみが反映されていようか。困ったことだ。日本人の大部分は庶民であるのに。
ともあれ、天空寺タケルのこの余りにも潔い願い事にグレートアイは改めて感心し、褒美として、天空寺タケルを彼自身の願望に基づき普通の人間として復活させた。これで一応は一件落着ではあるが、何だか謎が謎のまま残された感もある。
この天空寺タケルの願い事の実現に伴い、元眼魔世界長官の仙人=イーディス(竹中直人)が発明した「眼魂システム」は消滅し、イーディスも普通の人間として復活した。ユルセン(声=悠木碧)も復活したが、正体は意外にもイーディスの愛猫だった。猫がどうしてあんな姿になっていたのか。謎を深めた。
アラン(磯村勇斗)を守るため身代わりになって消滅したジャベル(聡太郎)も復活し、同じ頃、眼魔界でもイゴール山本浩司)やジャイロ(高岩成二)や画材眼魔(内川仁朗)が次々復活を遂げていたわけだが、一体、眼魔として生きてきた者たちの復活の場所が人間界と眼魔界に分かれるのはどのような原理によるのだろうか。本体が人間界にあるのか否かの差によるのかもしれない。ジャベルは本体を用いて復活した上で人間界へ降臨していたので人間界で復活し、画材眼魔は人間界で生きていたとはいえ本体を眼魔界へ置いたままにしてあったので眼魔界でしか復活できなかったということか。
そうであるとなると、イーディスとユルセンの本体が人間界の大天空寺に置かれてあったことをどう考えるべきか。やはりイーディスは、かなり早くから眼魔界を、否、眼魔界の大帝アドニス(勝野洋)を、見限って裏切っていたということだろう。
実のところ、眼魔界の大暴走の責任が誰にあるのか?と考えるとき、一番悪い奴はアデル(真山明大)ではなく、先帝アドニスではなかったろうか。そもそも人間界の侵略を企てたのはアドニスであって、王世子アデルはその志を最も純粋に、忠実に受け継いだだけだった。厄介なことに、アドニスの企ての酷さを、アドニス自身も幾らかは自覚していたらしい。だからアドニスは自身に忠実なアデルに危うさを予感したのだろうし、決して忠実ではないアランにこそ望みを託したくもなったのだろう。アリア(かでなれおん)がアデルの危うさを察知し得たのは、父の王権を継承する必要のない無責任な立場にあったからであり、ゆえにアリアは、全責任を背負わざるを得ない立場にあった弟アデルを気の毒に感じる余裕をさえ持ち得たに相違ない。アランが最後までアデルを救いたいと思わずにはいられなかったのも、なるほど、頷けよう。
それにしても、眼魔界というのは「眼魂システム」で成り立っているのではないのか。「眼魂システム」が消滅してしまった今、眼魔界はどのようにして存続し得ているのだろうか。ここも謎であるように思われる。