聲の形&君の名は。二つ続けて観る場合の順番の効果

休日。朝やや遅く起きた。漫画『聲の形』全七巻の内、第一巻から第四巻まで一気に読んだあと、慌ただしく外出して衣山へ行き、昼十二時四十分からシネマサンシャイン衣山で映画「聲の形」を鑑賞(七度目)。原作を半ばまでしか読み得てはいなかったが、それでも、半ば読んだことで映画の味わいをさらに深く感じた気がした。余韻に浸りつつ映画館内で漫画『聲の形』第五巻を一気に読んで、午後三時五十分からは映画「君の名は。」を鑑賞(六度目)。
今まで「君の名は。」と「聲の形」を二つ続けて鑑賞する場合は毎回(偶々)、先ず「君の名は。」を観たあとに「聲の形」を観るという順番になっていたが、今回、初めて順番を入れ換える格好になった。
思うに、「君の名は。」にはドラマティクな展開を次々畳みかけることで鑑賞者の感情をどんどん高めて最後に一気に解放するような強さがあるのに対し、「聲の形」には日常における心理の交錯を淡々と積み重ねて鑑賞者の心に突き刺さり、永く余韻を残すような深みがある。ゆえに「君の名は。」を観たあと「聲の形」を観れば、二つの感動をいつまでも反芻しながら帰路に着くが、「聲の形」を観たあと「君の名は。」を観れば、前者の感動を引き摺りながらさらに後者の感動を積み上げ、そこから一挙に解放される。
実際、今回は「聲の形」の感動によって「君の名は。」の感動が増幅されたのか、日本昔話風の「結び」と御神体の話の辺から涙がこぼれ、御神体へ再び参詣する辺からは自ずから涙が止まらなくなっていたが、映画の終了と同時にスッキリ解放された。何れを先に観たとしてもそれぞれの良さがあるが、取り敢えず今回の経験は新鮮だった。