妖怪ウォッチ空飛ぶクジラとダブル世界の大冒険だニャン!漫画版の素晴らしさ

休めない日々が続いてきた中、なぜか大切な来客も相次ぎ、少なからず緊張を強いられる仕事も連なって予想外に忙しかった。本当に疲れた。ゆえに今宵は帰宅後に早めに寝てしまい、起きたのは翌日(水曜)の朝八時前。
ところで。
小学館てんとう虫コロコロコミックスの小西紀行作『映画 妖怪ウォッチ 空飛ぶクジラとダブル世界の大冒険だニャン!』を読んだ。
映画そのものを観たのは昨年十二月十九日の夜で、わずか一回だけの鑑賞。それから二箇月以上を経て唐突に昨日そのコミカライズ版を買い、今日それを読んだのは、映画において殆ど唯一の創意であり妙味でもあった実写化の場面とアニメの場面との対比が、漫画においてはどのように描き分けられているのかを確かめておきたかったから。
その点に関しては、普段通りの画風と、劇画調の画風との対比という形で対比が試みられているが、実のところ劇画調の場面の中でも所謂ギャグマンガの路線を貫く以上はその劇画調の絵を崩さざるを得なくなるので、対比は常に不明瞭になりがちで、必ずしも成功しているとは云い難い。「ダブル世界」の対比は映画でこそ可能であり、漫画では、一人の個性、一人の画風だけで処理し難いのは無理もない。
とはいえ、物語の出来栄え、面白さは素晴らしい。映画には全然なかった面白さがある。空前のクロスメディア・プロジェクトと云われる「妖怪ウォッチ」プロジェクトの一翼を担う小学館コロコロコミック」編集部が、歴史ある「コロコロコミック」に連載する漫画の作者として小西紀行を指名した判断の確かさを、認識し得た気がした。
何がそんなに面白かったのか?と考えるに、一つには「人間の心の闇に、妖魔界の力は及ばない」という法則を明確に設定したことがある。この法のゆえに、妖魔界を統治する若きエンマ大王でさえも、謎のクジラの暴走を止めることができなかった。驚くべきことに、そこにおいてエンマ大王は「ケータに頼るしかなさそうだ」と判断した。人間界では気の毒な程に「普通」であると見られて同情されてもいるケータが、エンマ大王にとっては世界を危機から救出できる唯一の人間として評価されていると判明した瞬間に他ならない。
ケータの何がそんなに特異であるのか。もちろん妖怪たちとの関係に他ならない。そもそもエンマ大王が今回の異常事態を認識し得たのは、フユニャンが大王の城に乱入して報告したからであり、フユニャンがそのように行動したのはケイゾウの孫ケータのためだった。怪魔クジラがケータの不意を打って攻撃してきたとき、楯になったのはジバニャンだった。小西紀行の漫画ではウィスパーまでもが勇敢に戦うのが恒例であり、今回もウィスパーは容赦ない反撃を試みた。
しかし何といっても熱い展開を打ち出し得た勝因は、ブシニャンがジバニャンの身体を借りて出現する霊体であるという設定をも活かしてみせた点にある。ジバニャンがクジラに倒された瞬間、ブシニャンが出現してクジラを斬るという素晴らしい逆転劇を演出してみせた。
映画「妖怪ウォッチ」の制作者はもっと小西紀行に学んだ方が良いのではなかろうか。