旅行記一/東京国立博物館の宮廷のみやび展とフォンタネージ展

今朝は十時二十分頃に目を覚ました。焦った。なにしろ十一時四十分には松山空港を発つ予定だったから。大慌てで準備を整えて空港へ移動。しかし行ってみると、出発時間には二十分の遅れが生じていた。こうなることが分かっていたら朝食用に準備しておいたチョコレイトパンを摂ること位はできていたのに。甚だ無念なこと。もちろん「仮面ライダーキバ」も見ることができなかった。でも録画しているので、帰宅後に見よう。
東京国際空港へ着いたあとは品川駅を経由して真直ぐ上野駅まで移動。上野恩賜公園東京国立博物館平成館で開催中の陽明文庫創立70周年記念特別展「宮廷のみやび-近衛家1000年の名宝」を見物。本日が最終日ということで流石に人が多く、思うようには見ることができなかったが、古筆の名宝、伝藤原行成筆「粘葉本和漢朗詠集」(宮内庁蔵)を存分に見ることができたのは幸い。この名宝中の名宝の周囲には殆ど人がいなかったのだ。展示場所が変な位置にあったので目立たなかったからだろうが、こういう真に観るべきものを観ることができるかどうかの差は、多分に観者の側の知識の差によって決まる面がある(少々自画自賛)。同じく仮名書の名品、伝小野道風筆「本阿弥切古今和歌集」断簡(宮内庁蔵)は、私的には今まで荒々しくアクの強い感じの書風と思い込んでいたのだが、改めて見ると思いのほか雅やかな様子だった。西行筆「消息」(宮内庁蔵)は縦横無尽。天地無用みたいに文字を色々な方角から書き連ねている。伝藤原俊成筆「古今和歌集」(宮内庁蔵)は、いかにも頭よさそうな書風。国宝、伝藤原行成筆「倭漢抄」(陽明文庫蔵)は、従来「近衛本和漢朗詠集」と呼ばれていたものだろう。殆ど同じ個性の「粘葉本和漢朗詠集」に比較して少し潤いが足りない気がするが、それにしても麗しい。原在明筆「年中行事絵巻」(陽明文庫蔵)の「内宴」は宮中の酒宴の華やかさを伝える画像として余りにも有名。後西院天皇著賛&妙法院尭恕法親王画「瀧図」(陽明文庫蔵)は透明感がある。近衛家煕詞書&渡辺始興画「春日権現霊験記絵巻」摸本(陽明文庫蔵)は細部まで緻密に描き込まれ、女房衆の装束(所謂十二単)の文様や、画中画の襖や屏風の絵も極めて美麗だが、圧巻は神聖なる奈良の鹿たちの大集団。「鹿男あをによし」における鹿の大行進を想起した。
展覧会を見終えたあとは、平成館一階の講堂前の休憩所に特設されていた和菓子店「鶴屋吉信」で「紡ぎ詩」「つばらつばら」を購入して暫し休憩。とても美味だった。平成館から本館へ移動する途中、平成館一階の企画展示室では「保存と修復」展を開催していて、中には亜欧堂田善が西洋の版画を忠実に摸したものや高橋由一の油画も出ていた。由一の絵は雪景色を描いたものだが、雪の描写と構図に江戸情緒が漂うのが面白い。
本館一階の近代美術室では、明治洋画の元老、浅井忠の油画を特集していて、高野コレクションのほか、東京国立近代美術館から召し上げた重要文化財「春畝」も出ていた。梶田半古の代表作「春宵怨」は美しい。松林桂月山人の屏風「溪山春色」は鋭い筆法と明るい彩色が心地よい。大智勝観の二曲一双「梅と蓮」も出ていた。
歴史資料室では、禁中の飛香舎(藤壺)の調度品や、長崎奉行所旧蔵の重要文化財「聖母子像(ロザリオの聖母)」二点、メキシコ風俗人形とスペイン風俗人形、安本亀八作の歴代服装人形(生人形)藤原時代女子体座像と歴代服装人形(生人形)天平時代貴紳女子盛装体が面白かった。
続いて本館二階へ。水墨画室には重要美術品、伝狩野元信筆「囲棋観瀑図屏風」。屏風室には江戸時代十七世紀の長恨歌図屏風。呉春筆「雨雪山水図屏風」に見る朦朧とした情趣は、高橋由一の油画「雪景」にも共通する。重要文化財長谷川等伯筆「牧馬図屏風」も出ていた。
近世書画室で今回一番の見ものは無論、椿椿山筆「高久靄崖像」。肖像画の傑作。重要文化財。だが、その脇にある春木南溟筆「前後赤壁図」の美しさも忘れ難い。住吉広尚筆「鷹狩図」は徳川将軍家の貴族趣味を伝える。狩野永納筆「神農図」は有名だ。金井烏洲筆「月ヶ瀬探梅図巻」は畳み掛けてくるような山々の描写が実に楽しい。
本館二階の企画展示室では「OYATOI-フォンタネージとラグーサ」と題して、明治初期にイタリアより招聘された二名の御雇い外国人教師の作品と彼等の生徒たちの作品を展示。近代イタリア「ロマンティク・ナショナリズム」の巨匠フォンタネージの「逆光の美学」に魅了されるが、生徒たちのデッサンの上手さにも驚かされる。かなり本格的にアカデミックな教育が行われていたのだ。伊藤博文支配下にあった工部大学校附属の工部美術学校(現在の東京大学工学部)の教育の、気合の程が伝わってくる。
今回この企画展で注目すべきものの一つはプロスペッロ・フェレッティ筆「ラグーザ氏半身肖像」という油画。本邦初公開だそうだ。フォンタネージの後任として工部美術学校に来たフェレッティは、着任後一回目の授業の際、かなり悪フザケの過ぎたパフォーマンスをやって生徒たちの反感を買ったことで知られる。所謂「ウケ狙い」だったのだろうが、生憎ウケなかった。当時の画学生たちというのは小山正太郎や浅井忠のように高潔な武士の子が多かったし、あくまでも国家有用の事業として美術に取り組んでいたわけなので、下手な悪フザケは逆効果だったのだ。画学生たちのリーダーだった小山正太郎がフェレッティの名を「不烈痴」と書いて「人格、画技ともに劣る」後任教師への怒りを表したのも有名だ。しかし今回展示されたフェレッティの作品を見ると、確かにフォンタネージには劣るにせよ、どうしようもない画学教師だったとも云い切れないような気がしてくる。彼にとって不幸だったのは、彼の予想していたよりも遥かに、工部美術学校の生徒たちが立派だったことだ。確かに考えてみれば小山正太郎や浅井忠相手に教師として振る舞うのは容易なことではなさそうだ。手強い生徒を持った凡庸な教師の不幸だ。
夕方五時の閉館と同時に退出。今宵は御徒町のホテルに宿泊。菊池章太『悪魔という救い』を読んでいるが、余りにも面白いので夜更かしをしてしまいそうだ(と云うか既にしてしまった)。