徒歩圏内の観光旅行

昼に起きて外出。伊予西条へ行きたかったのだが、JR松山駅に着いた時点で無理があると判断し今回は断念。古町から平和通を経て道後へ戻り、しかし帰宅せず祝谷の松山神社と常信寺へ参詣。
かねて松山神社には参りたいと思っていた。そこは江戸時代には東照宮と呼ばれていたのだ。なるほど松山城の鬼門の位置にあり、城下町の鎮守に相応しい。明治期に天満宮をも合祀、以来、「松山神社」と改められたとのこと。「神君」徳川家康と「菅公」菅原道真をともに祀るとは誠に有り難いこと。ちなみに松山城主の久松家は松平姓を許された徳川家一門ではあるが、源氏ではなく菅原氏に属する。しかし当地に菅公(百人一首に云う「菅家」)が祀られたのは、久松松平家が松山へ入った時期よりも遥か古いらしい。京から太宰府へ向かう途上の菅公が祝谷に寄ったとの伝承があるとか。
松山神社のある山の少し奥に常信寺がある。同じ山にあるが、一度は山を降りなければならない。祝谷山常信寺は天台宗比叡山延暦寺派の立派な寺院で、久松松平家の霊廟があるとのこと。東照宮と近接しているのは必然なのだ。改修工事中だったのが少々残念。徳川家に所縁の天台宗の寺院である以上は当然、天海和尚の流れを汲んでいると解してよいのだろう。俗に明智光秀と同一人物ではないかとも云われ、同じく明智家に縁の深い春日局とともに徳川将軍三代に仕えて二百六十年の天下泰平に貢献したあの謎の高僧にも繋がりのある寺院として見ると、一段と感慨深い。
常信寺をあとにして文教会館の脇を通り、道後の街へ。道後温泉本館を目指して東へ進めば、道後白鷺坂「道後ぎやまんの庭」が見えた。江戸時代以来のガラス工芸品を展示する美術館で、かねて見たいと思っていたのだ。入ろうとしたとき入口の近くに美男子がいて案内をしてくれた。庭内の「ぎやまんカフェ」では貸切で結婚披露宴が行われていたらしく、どうやらカフェ店員と思しい彼はそのための案内役として立っていたらしい。何時も立っているわけではないのだろう。展示の内容は実によかった。ガラス工芸ならではの、素材の美しさ、デザインの面白さ。職人の技の素晴らしさだけではなく、技の限界や素材の難しさも教わることができたし、近代化の波の中で職人たちが生き残りをかけて色々な試みをしていたことも解り、泣けるものがあった。展示空間そのものも楽しかった。庭も面白かったし、ミュージアムショップも充実していた。これでカフェにも入ることができれば申し分なかったのに。ともあれ観光地に相応しい楽しい美術館だった。近所なので時々行こう。
道後ぎやまんの庭を出て、商店街へ向けて歩いた。道後山の手ホテルの前には英国十九世紀風の折り目正しい服装をした所謂ベルボーイ氏が立っていた(道の向こう側だったので容姿や年齢は不明)。半年前から道後村の住人となった吾が身にとって今や日常の空間でしかない道後だが、改めて歩いて見てみると、なかなかに(所謂)「カオス」なところがあって楽しめる。本日は云わば徒歩圏内の観光旅行を楽しんだ次第。