刑事の現場第四話

NHK総合土曜ドラマ「刑事の現場」。
作:尾西兼一。音楽:coba。主題歌:大橋卓弥スキマスイッチ)。演出:柳川強。第四回「バスジャック」。
テレヴィドラマにおける刑事という存在の一つの理想像として「人情派」があるだろう。人情に篤い刑事が本当に存在するかどうかは定かではないが、恐らく実在は難しかろう。なぜなら刑事は公務員だからだ。公務員は「全体の奉仕者」でなければならないと定められている以上、特定の人間への奉仕者であってはならない。もっとも「全体」というのは現実には政治家として表れるほかないから結局のところ公務員は政治家への奉仕者であるほかなく、ゆえに政治家は本来なら持ち得ないはずの法外な権力を行使できるし、また政治家はその権力について何一つ責任を取ることなく、全ての責任を公務員に転嫁できるのだ。ともかくも公務員は(政治家以外の)特定の人々に奉仕をしてはならない。そうであれば当然、刑事もまた特定の人々のために特別に親切に振る舞うことは厳に慎まなければならない。それは法に反し得る。
しかるに、この物語の主人公=愛知県警察東和警察署の捜査課捜査一係長の伊勢崎彰一警部補(寺尾聰)は、係員である(この物語のもう一人の主人公でもある)加藤啓吾巡査(森山未來)に対しては事件の関係者への感情移入の類を厳しく禁止する反面、自身は大変な「人情派」そのものでもあった。それが法に反しているかどうかの判断を別にすれば、庶民にとってはそれは警察の理想像であるだろう。現実の警察は権力の護衛であって庶民の味方ではなく、冷たく恐ろしい連中だが、そうであるからこそ、心温まる優しい警察が存在していて欲しいわけなのだ。
だが、「人情派」であること自体にも二面性があった。
かつて伊勢崎警部補によって逮捕された広瀬徹(菅田俊)は、逮捕後に残された家族の生活のこと等について伊勢崎が配慮して面倒見てくれたことを心から感謝していた。恩人と思っていた。かつて伊勢崎によって逮捕された別の男の遺児である竹内光(北村有起哉)もまた、孤児となったのちの生活のこと等を伊勢崎が配慮してくれたのみか、不良化した際には更生に向けても尽力してくれて、しかも今なお色々心配してくれていることを感謝してはいたろう。しかし彼にとっては同時に、伊勢崎の顔を見る度に亡き父の犯罪のことを想起しなければならないという面もある。伊勢崎が親切に接し続けてくれる限り、竹内は、己が犯罪者の子であることを忘れることができない。逮捕された者の子であることを理由に不良連中に脅され、不良の一味にまで引き込まれそうになった忌まわしい過去をも想起せざるを得ないことだろう。忘れようにも忘れようがない。「人情派」刑事の存在が、犯罪者や関係者を救う反面、何の罪もない人物をどこまでも追い詰めてしまっていたのだ。
ここで注意しておかなければならないのは、伊勢崎警部補が部下の加藤啓吾巡査に対して「人情派」であることを禁じるのは公務員であることの自覚を促す意によるのではないということだ。加藤巡査の亡き父、加藤誠(樋口浩二)が「人情」の篤さのゆえに殉職したことを今なお悔しく思うからこそ伊勢崎警部補は部下の若者たち、ことに加藤誠の子に対しては「人情」を禁じないわけにはゆかない。「人情」の篤さのゆえに自らの生命を落とすようなことは断じてあってはならないからだ。しかし彼自身は「人情派」そのものだった。どういうことか。容易に想像できることは、殉職した友の篤い「人情」、熱い思いを受け継いだのではないか?というところだろう。
何にせよ面白い作品だったと思う。続編も見たい気がするが、下手に作って徒に質を下げるのは望ましくないとも思う。