ドラマ被取締役(とりしまられやく)新入社員

TBS系。月曜ゴールデン。
第1回TBS・講談社ドラマ原作大賞「被取締役(とりしまられやく)新入社員」。
原作:安藤祐介『被取締役(とりしまられやく)新入社員』(講談社刊)。脚本:蓬莱竜太。プロデューサー:松原浩。制作:TBSテレビ。演出:吉田秋生
まとまりのない集団をまとめるための一番の近道が、手頃な共通の「敵」を設定することにあるのは誰もが知るところだろう。その真理性は国際社会でも露骨に顕れる。子どもたちの世界ではそれが極端な形で実行され、それは「イジメ」と呼ばれ、予て社会問題と化しているが、他方、大人の世界ではそれがもっと洗練された形で行われているのかもしれないので却って陰湿であり得る。しかし一般論で云えば大概の大人には多少の節度があるので滅多なことではそうした行動には出ないものではないかと思う。
このドラマの凄いところは、組織の力を高めるための装置として、「イジメ」の構図を採用した会社を描いてみせたところにある。大きな広告代理店の代表取締役会長、川崎又三郎(宇津井健)は、入社試験で、極端なダメ人間としての鈴木信男(森山未來)に眼を付け、その「価値」を見出し、表向きは無能な新入社員として、しかし裏面では組織内の皆から敵意と軽蔑を一身に浴びて身を挺して組織の結束を固めるための役員「代表被取締役(だいひょうとりしまられやく)新入社員」として、社内の花形部署に配置したのだ。
組織内の皆の苛立ちの「ハケグチ」になるべし!との意から、会長より「羽ヶ口信男」という名を与えられた鈴木は、確かに並大抵ではなく凄まじいダメ人間ではあった。その、現実には到底あり得ない水準のダメさ加減の描写が喜劇そのもので、かなり笑えて、ドラマ全体として笑い所の連続だったのだが、そこに生じていたのがイジメの構図そのものであることから来る痛み、苦味が作品としての味わいを複雑にしていたし、何よりも主人公のジタバタする様子には泣けるものがあった。
冷静に考えるならこのドラマの基本設定はとんでもなく恐ろしいものなのだが、それが喜劇性を生み出し得たのは、表面上は、描写と展開が「あり得なさ」に徹していたからだろう。例えば主人公の羽ヶ口信男は、何事にも自信のないダメ人間として大企業に入社したものの、やがて偶然の連鎖から数々の成功を収め、一躍「時代を作る男」として世間の脚光を浴びたが、偶然の連鎖が永続することなく、挫折を経験し、再びダメ人間として皆の「ハケグチ」となる立場へ戻った。この展開が何よりも「あり得ない」ことだろう。一度は時代の寵児として脚光を浴びた程の人物が、どうして普通にダメ社員なんかに戻れようか。しかるに彼は普通にそこへ戻ったのだ。あたかもそれが当然であるかのように。そして彼は何事もなかったかのように昔と変わらぬダメ人間として行動し、もちろん誰一人そのことに違和感なんか抱いてはいなかった。この二時間ドラマの中で最も凄かったのはそこの「あり得なさ」だと思う。羽ヶ口信男のこの筋金入りの揺るぎないダメさ加減が、視聴者に、余計な不安を感じる余地を与えなかったと云えるかもしれない。
しかし本質的には、羽ヶ口信男にも確かに生じた変化と成長こそが、この恐ろしい設定による喜劇をまさしく喜劇的にしてくれたのだとも思う。ダメ人間としての彼の行動それ自体には表面上は殆ど変化も成長もないが、心には大きな違いが出ていた。ダメ人間でもダメ人間なりに誇り高く、皆の役に立つ仕事をしようと考えるようになっていたのだ。
彼が、少年時代に彼をイジメの対象にしていた不良(桐谷健太)から云われた言葉「いじめられっこ世にはばからず」。それを聴いて、三木利道(細川茂樹)は教育広告「STOPイジメ」運動のためのキャッチコピー「いじめられっこ世にはばかる」を考え付いた。しかるに多分、羽ヶ口信男も、彼なりの仕方で「世にはばかる」道を見付け出していた。
皆の仕事の邪魔をしないように雑用にのみ専念しているときの彼の様子一つ取ってみても、入社間もない頃であれば常に居心地悪そうにしていたのに対し、大成功と挫折を経て元に戻ったのちは、ダメ社員なりにも伸び伸びと楽しそうにしていたし、己自身の意見も云えるようになっていた。この変化を生じた原因の一つは、偶然の連発による大成功で「勘違い」をしたことにありはしないだろうか。「勘違い」だろうと何だろうと、己の仕事、己の力量、己の存在に自信を持てるようになったことの意義は大きい。人間には挫折が必要である…と人は云うが、実はそれと同じ位、勘違いであれ一度は過剰な自信を持つことも必要なのではないだろうか。
見落としがちなことの一つは、コネ入社の中井修平(忍成修吾)も予想外にダメな奴であること。それに引き換え、羽ヶ口信男と同じく雑用係として使役されている工藤沙紀(貫地谷しほり)が実は組織の庶務担当として驚くべく有能であること。
序でに云えば、あの逞しい貫地谷しほりが何時になく可憐な少女のように見えたのも面白かった。容姿の印象をも変えてみせる演技の力量と評してよいだろう。森山未來忍成修吾の組み合わせというのは既に馴染み深いが(最近もNHK土曜ドラマ「刑事の現場」で見た)、そこに貫地谷しほりを加えても相性が良さそうだと思った。
そして何と云っても、主演の森山未來の演じるダメ青年が、徹底的にダメである中にもどこか愛らしいところがあって、実によかった。冒頭の、貧しい古アパートに住んで、合格できる見込みもない就職活動を続けていた頃の彼の、見るからにダメな感じが素晴らしかった。あれで魅了されて、ドラマ世界に一気に引き込まれてしまったと云うも過言ではない程。田舎にいる母(高畑淳子)との電話での会話も、屈折した暗い少年の言動として一々余りにも「リアル」で面白かった。