炎神戦隊ゴーオンジャーGP29

東映炎神戦隊ゴーオンジャー」。
第二十九話「大翔ヲトメロ」。會川昇脚本。竹本昇監督。
蛮機族ガイアークの居城ヘルガイユ宮殿に、ここ暫く家出していた害地大臣ヨゴシュタイン(声:梁田清之)が漸く帰還した。留守を守っていた害水大臣ケガレシア(及川奈央)と害気大臣キタネイダス(声:真殿光昭)が大歓迎をしたのは云うまでもないが、ヨゴシュタインの様子は昔とは違っていた。どうやらここ数週間にも及んだ法事と傷心旅行のための彼の孤独の時間は、無二の腹心ヒラメキメデスを失った悲しみを乗り越えるのに作用するどころか、むしろその悲しみを巨大なヒステリーへ増幅させただけだったようだ。そして彼はヒラメキメデスの敵を討つため、ヒラメキメデスの果たせなかった人間界の制覇という目的を、他の誰の力も借りず己のみの力によって一挙に達成したいと考えるに至ったらしいのだ。
この彼の感情が、この感情それ自体に裏切られることによって冷まされ、本来の落ち着きを取り戻した構図は面白かった。これに関連する事実として、ガイアークにおける蛮機獣とその制作者としての大臣との一つの関係が明らかになったのも興味深かった。
蛮機獣の性格は、それを制作する大臣の意図を忠実に反映していたのだ。だから今回、ヒステリックな状態にあったヨゴシュタインが制作した蛮機獣ハンマーバンキ(声:北沢力)は従来の蛮機獣のような愛嬌は一切なく、ただ「破壊のために生まれ、破壊のみを行う」冷徹な奴。命令に対する応答も「カシコマリー!」ではなく「了解」という簡単なもの。ケガレシアが「あれ?カシコマリー!じゃないでおじゃるか?」と驚き、キタネイダスも「やる気ハンマー!とかも云わないぞよ?」と疑問を呈したのは視聴者の驚きと疑問を代弁したものに他ならないが、これに対しヨゴシュタインは「せこいギャグは不要!」と答えた。しかしケガレシアもキタネイダスも(そして恐らくは昔のヨゴシュタインも)あの「せこいギャグ」を本気で楽しんでいたように見えたのに。それをこんな風に一言で片付けられて否定されては流石のケガレシアもキタネイダスも辛かったろう。
ヨゴシュタインは「仲間と力を合わせるなど炎神どもに任せておくナリ!吾は己の力のみを信じる!」と云った。確かに、炎神と蛮機族とは正反対の道を行くものであるなら、そうあるべきなのかもしれない。それに仲よく和気藹々とした雰囲気は善人にこそ相応しく、悪には相応しくないのかもしれない。そう考えるとヨゴシュタインの云う通りであるとも思える。でも、彼等がそんな奴等だったことは今まで一度もなかったのだ。
ともかくもハンマーバンキは、ヨゴシュタインの制作中の意図の通り、あくまでも破壊活動のみに徹した。見事な働きようだったが、反面、ヨゴシュタインの命令にさえも背くようになってしまった。理由は明白。「吾は己の力のみを信じる」というヨゴシュタインの考えを忠実に反映して作られたハンマーバンキにとって、もはや上司の命令に従うとか仲間の助言を容れるとか、そんな生ぬるいことなんかできるはずもなかったのだ。部下に背かれたヨゴシュタインの哀れなこと。同時に、上司の適切な助言も聞かず暴走してゴーオンジャーとゴーオンウイングスにあっさり敗北したハンマーバンキの、「トンカンチン…いや、トンチンカンなことやっちまったぜ!」という悔恨の言も哀れだった。蛮機族ガイアークといえども、やはり仲間や上司や部下は必要なのだ。
悲しんでいたヨゴシュタインを、ケガレシアとキタネイダスは激励した。三大臣の連立政権がここに復活することだろう。
このように、蛮機族ガイアークの連中が仲間の必要性、絆の大切であることを確認していた間、ゴーオンウイングスのゴーオンゴールド須塔大翔(徳山秀典)もまた、同じことを再確認させられる出来事に見舞われていた。悪と正義が同時並行で似たようなことをしている構図というのが実に絶妙だった。よくできた物語であると何時もながら思う。
大翔に関して見落とせないのは、彼が、ゴーオンイエロー楼山早輝(逢沢りな)の高級プリンのことを密かに気にしていたということだ。ハンマーバンキとの戦闘中に負傷した彼の妹、ゴーオンシルバー須塔美羽(杉本有美)の看病のことで、妹の敵を討つために一人で行動しようとする彼と、妹の看病に専念した方がよいと反対するゴーオンレッド江角走輔(古原靖久)とが喧嘩をして、走輔が投げ飛ばされたとき、その弾みで、早輝がナケナシの小遣いで買ってきておいた高級プリンが床に落ちてしまったのだが、大翔はそれを見逃してはいなかった。戦闘のあと、彼はその高級プリンを大量に買い込んで早輝に贈った。ここで見逃せないことはもう一つ。愛する者の敵を討つため一人で行動しようとする大翔の姿が、そのまま、腹心の部下の敵を討つため一人で行動しようとするヨゴシュタインの姿と重なり合うことだ。
ゴーオンブルー香坂連(片岡信和)の技術者としての力量が今や揺るぎないものとして確立してきたことも見落とせない。しかし彼は大翔が成し遂げられなかったことを単独で成し遂げたのではない。大翔が一人で開発しつつあって途中で行き詰まっていたことを、連と炎神ジャン・ボエール教官(声:西村知道)との協働で補って完成させたのだ。物語のあらゆる要素が、仲間の不可欠性という主題に包摂されている。上手くできた物語だとつくづく思う。