仮面ライダーディケイド第十一話

東映仮面ライダーディケイド」。
第十一話「555つの顔、1つの宝」。脚本:會川昇。監督:柴崎貴行。
名門高等学校「スマートブレイン・ハイスクール」の校庭で、タイガーオルフェノク=百瀬(三浦涼介)、ロブスターオルフェノク=朱川(花形綾沙)、ドラゴンオルフェノク=玄田(CHIKARA)の三人組「ラッキークローヴァー」を相手に、仮面ライダー三人組が戦闘を繰り広げたあと。仮面ライダーファイズ=尾上タクミ(制野峻右)は本来のウルフオルフェノクの姿に戻り、学園の写真部で何時も一緒に活動してきた友田由里(緑友利恵)に別れを告げたが、由里は「わたしの夢、守るんなら、写真集出すまで付き合いなさいよ」と呼び止めてオルフェノクの姿をした彼の手を握った。両名は幸福に生きてゆくだろうか。そうだと信じることはできるが、苦難が少なくないだろうことも容易に予想される。なぜなら皆を守るためにラッキークローヴァーを倒したウルフオルフェノク=尾上タクミを、その戦闘の一部始終を見ていたはずの他の生徒たちは恐れたからだ。今まで学園を守り続けてきた仮面ライダーファイズの正体であり、生徒たち皆にとって友であることは間違いないのに、それなのに由里以外の生徒たちは皆、彼がオルフェノクであることを恐れたのだ。無論それは自然な感情の表出ではあるだろうが、差別であるのも確かだろう。タクミと由里は今後そうした差別と戦って生きてゆかなければならないのかもしれない。
そうした苦味をも含みながらも幸福感のある結末だったところに、なかなか濃厚な味わいがあったと思う。
街中にある芸術オブジェの歪んだ鏡面に写る自身の人間体の歪んだ姿を見ながら悩んでいた尾上タクミの様子は、今朝の最も印象深い画だった。
仮面ライダーディエンド=海東大樹(戸谷公人)と、仮面ライダーディケイド=門矢士(井上正大)との対照性が鮮明になってきたのも面白かった。ディエンド=大樹は、全てにおいてディケイド=門矢士を上回る水準の機能性を誇示するかのように華麗に闘うが、反面、余りにも手際よく巧妙であり過ぎる所為か、単なる技術、技巧のみによる冷ややかな行動で、そこに心がないようにも見えてしまう。それとの対比において、当初あんなにも冷たく見えていた門矢士の熱さ、温かさが鮮明になってきた。彼は、小野寺ユウスケ(村井良大)が信じた通りの人物だったのだ。
海東大樹役の戸谷公人と門矢士役の井上正大との容姿や恰好の対照性も、このような人物設定上の対比に巧く調和している。戸谷公人は美形の顔も派手な髪型も全てが鋭く尖っているのに対して、井上正大は全体としては長身で颯爽としているのに顔立ちがどこもかしこも丸い感じで、そこが長閑な門矢士の人物像によく合っている。小柄で愛らしくて一見フワフワして見えるのに、よく見ると美形で眼差しの強さが特徴的な小野寺ユウスケ役の村井良大も含めて、なかなか見事な組み合わせであると思える。
かつて由里が撮った写真に写るタクミの魅力的な笑顔を、彼の正体がオルフェノクだったことを理由に「嘘だった」と断罪した由里に対し、門矢士が述べた「本当の顔なんて誰にも写せない。何百枚撮ったって別の顔が写る。同じ顔なんて二度と撮れない。だから俺たちは写真を撮るんじゃないのか?」という言葉には、写真という表現の技術の本質を哲学的に表現したような深遠な意義があると感じられて、これもまた味わい深い。