仮面ライダーディケイド第十二話

東映仮面ライダーディケイド」。
第十二話「再会 プロジェクト・アギト」。脚本:會川昇。監督:長石多可男
仮面ライダークウガ=小野寺ユウスケ(村井良大)は、どうしてグロンギ等との戦闘の只中にも仮面ライダークウガに変身しようとしなかったのか。その意味は、警視庁から委ねられた仮面ライダー型の鎧「G3-X」を脱ぎ捨てて仮面ライダーディエンドの姿に戻った海東大樹(戸谷公人)に対する「G3-Xを馬鹿にするんですか?」という彼の詰問によって明らかだ。
今回の舞台は「アギトの世界」。かつて小野寺ユウスケが生きていた「クウガの世界」によく似ている。街にはグロンギが暴れ、警視庁には八代という名の刑事がいる。クウガの世界でユウスケが「姉(あね)さん」と呼んで慕っていた八代藍(佐藤寛子)によく似たその人は八代淘子(佐藤寛子)。八代藍がユウスケをかわいがり、ユウスケの変身するクウガとともに闘っていたのと同じように、八代淘子も、自ら主導して開発したG3-Xを活用してグロンギを退治するプロジェクトを推進しようとしていて、そして、そのG3-Xをかつて装着していた人物を今なお忘れることができないでいるらしい。
ユウスケは、クウガの世界で「あねさん」を守り抜くことができなかったのを悲しんでいて、今このアギトの世界では、「あねさん」とは別人であるとはいえ別人とは思えない程によく似た八代淘子を守るために戦いたいと考えている。そうである以上、この世界ではG3-Xとして闘うのでなければならない。だからクウガに変身するわけにはゆかないし、また、八代刑事の大切な思いを踏みにじるかのようにG3-Xを脱ぎ捨てた海東大樹の行為は、G3-Xを馬鹿にすること、延いては八代刑事を馬鹿にすることに他ならないと感じるのだ。
もっとも、ユウスケは自身のこの余りにも熱い想いがこの世界においてはそもそも片想いでしかないだろうことを既に知っている。かつてG3-Xを装着していた人物こそが、今なお八代刑事の真の一番の想い人であり続けていることを彼は「男の勘」によって察している。それどころか、その人物の不在の現在でさえ、彼がG3-X装着員に自ら立候補しようとも、圧倒的な身体能力を誇る海東大樹に阻まれてしまい、単なる「補欠合格」に甘んじ、海東大樹に従うだけの単なる見習いの地位に甘んじるしかない有様だからだ。
ユウスケは「多分、ここが終点。俺の居場所だったんだよ」と云ったが、八代藍ならぬ八代淘子のために闘いたいという彼の決意が報われないかもしれないことを、仮面ライダーディケイド=門矢士(井上正大)も、「夏みかん」こと光夏海(森カンナ)も感じ取っていたろうか。あんなにも寂しげな彼等を初めて見た気がする。詳しい事情を知らないと思しい光栄次郎(石橋蓮司)も、光写真館を出てゆくことを告げたユウスケに最後の夕食を振る舞いたいと呼びかけたとき、笑顔の中にも寂しさを湛えていた。密かにユウスケを愛していたらしいキバーラ(声:沢城みゆき)も悲しそうだった。
この世界におけるユウスケにとっての永遠に超えることのできない恋敵、かつてG3-X装着員だったその人物が芦河ショウイチ(山中聡)であることを、門矢士は「大体わかった」ようだ。そうであれば彼が芦河ショウイチを守り、序でに海東大樹の邪魔をする!と宣言したとき、海東とともに行動していたユウスケがその宣言をどのように感じようとも、その言の奥には「俺がユウスケの笑顔を守る!」という思いがあったに相違ないと思う。
なお、こんなにも見応えのある話を展開する回の主題歌の途中に、唐突に変な告知を入れないで欲しかった。特に、変なアナウンサーが姿も言も鬱陶しかった。主題歌の途中に入れられているから削除しようもない。折角の話が台無しだ。