新番組=アイシテル-海容第一話

今宵からの新番組。
日本テレビ系。ドラマ「アイシテル 海容」。第一話。
原作:伊藤実。脚本:高橋麻紀。演出:吉野洋
少年が少年を殺害する事件は現実にも起きているが、その理由、原因を解明することは極めて難しいと見受ける。それどころか、納得ゆく説明を得ることは大抵は不可能ではないだろうか。そうであるなら、当然このドラマにおいても、推理ドラマにおける謎の解明のような類の明晰判明な真相の発見は多分ないだろう。真相は、様々な些細な出来事の重なり合いと絡み合いの中にしかないのかもしれないのだ。
手始めに押さえておくべきは、主人公、野口さつき(稲森いずみ)の人物像についてだ。この人は決して怠惰にはあらず、逆に「良妻賢母」の鑑のようでさえある。家政をよく仕切り、子育てにも励み、家計を助けるため仕事にも出ていた。妹の森田彩乃(田畑智子)は姉さつきを「優等生で安定志向」と形容したが、なるほど、主婦として全ての役割を完璧に果たそうとする姿勢は「優等生」そのものと云うべきだろう。結婚する前は会社員、所謂OLとして働いていたようだが、恐らくは完璧な仕事振りと、それにもかかわらず曇らされない人柄と容姿の善美によって周囲の人々を魅了していたことだろう。とはいえ過度の多忙と完璧主義は心身を疲労させ硬直させざるを得ない。会社であれば誤魔化し得ることでも、家庭では誤魔化しようがないこともあろう。なぜなら家庭とは愛情の場でもあるのだからだ。
退屈が人の心を豊かにするかどうかを知らないが、多忙が人の心を豊かにしないことは殆ど間違いないだろう。
さつきは、愛する吾が子、智也(嘉数一星)がこのところ無口であることに気付き、夫の和彦(山本太郎)に対し、「子どもの成長には父親の存在が大事であること」を強調し、たまには休日にキャッチボールでもしながら「父と子の会話」をして欲しいと云った。さつきのこの言には二つの面がある。一方において、余りにも通俗的な一般論に囚われているが、他方において、問題の存在には確かに微かながらも気付いてはいるからだ。何に気付いているのか。一つはもちろん智也がこのところ無口で無表情であることだが、もう一つは、夫の家庭との関係が一方通行でしかないことだ。その意味において、さつきが夫に吾が子とキャッチボールをして欲しいと促したのは奇しくも一つの比喩になり得ていたのかもしれない。
ともあれ、野口さつきをこのように見たとき、対する小沢聖子(板谷由夏)の像が少し見えてくるだろう。少なくとも、末子の長男の「きよたん」=清貴(佐藤詩音)に愛情を注ぐ余り、長女の美帆子(川島海荷)に愛情を注ぐのを忘れてしまっていた程であるのを見る限り、どうやら「賢母」とは云い難い。無論それは世間にありがちなことではあるのだろうが、何か事が有るや、恰好の説明方式として採用されてしまう。
同じことが野口家の和彦についても云える。吾が子が逮捕された直後にもなお、責任を逃れる口実を探したり己の社会的地位のことばかり心配したりする非道の人物だが、誰が見ても明らかな彼のこの罪深い性格も、今回のような事件が発生しなければ容易には表面化しないのかもしれないのだ。