旅行記一/日本第一清荒神/鉄斎美術館喫茶展

旅行記一。
連休の初日。朝五時頃に朝食を摂って、六時半には家を出て、六時五十六分、道後温泉駅前でバスに乗り、七時三十五分、松山観光港へ到着。八時発の高速船に乗って九時十七分頃に広島港へ到着。その間、約五十分間は寝ていたろう。路面電車でJR広島駅へ移動。十時二十二分発の新幹線は、本日、九州における雪の影響で五分遅れの運行。移動中の大半を寝て過ごした。終点の新大阪駅で降りて、地下鉄御堂筋線淀屋橋駅へ。十一番の出口から地上へ出て、ホテルへ大きな荷物だけ預けた。身軽になって、淀屋橋駅から梅田駅へ移動し、地下街を歩き、阪急電車の梅田駅から清荒神駅へ。到着したのは昼一時二十分頃。参道を登る途上、大正八年創業の食堂「宝光亭」の親子丼で昼食。名物のオデンも久し振りに頂戴して、温かく深い美味に驚嘆した。餅のように柔らかかったのは蕪か芋か何か野菜だろうか。次回ここへ来たらオデン定食を注文しよう。
一時五十三分に店を出たとき、快晴だった空に雪が舞い始めていた。桜の花の散るように雪の散る中、大勢の老若男女の参拝客で賑わう山道の参道を歩いていると、富岡鉄斎の「山は蓬莱に似て人は仙に似たり」を想起しないわけにはゆかない。山門に近い参道に並んでいる店の一軒でワサビの煎餅を売っているのが目に入り、試食したところ美味だったので一袋を購入。二時頃、開創千百余年、日本第一清荒神真言三宝宗総本山清荒神清澄寺へ到着。休憩所の御茶で休憩しつつ、境内に雪の舞う景色を眺め、御手洗で清め、諸仏諸神に拝礼したあと、二時二十五分、鉄斎美術館へ到着。
鉄斎美術館で一月五日から二月十一日まで開催している「鉄斎-喫茶の楽しみ」を観照した。富岡鉄斎文人画家らしく煎茶を好み、売茶翁の道具一式を考証して再現していたが、抹茶も好んで太閤殿下の北野大茶会を研究したり抹茶茶碗を制作したりしていた。この展覧会では、鉄斎が名匠と合作した茶道具や、妻の春子と合作した茶碗とともに、茶に関連する画題の書画も特集している。
大正五年(一九一六)八十一歳の「群僊集会図」一幅は、いつ見ても青色が鮮やかに輝いている。大正十三年(一九二四)八十九歳の「福内鬼外図」一幅や、大正元年(一九一二)七十七歳の「擬土佐又平筆法遊戯人物図」一幅のように楽しい書画幅が多い中で、五十歳代の「獅子舞図」一幅を見れば、戯れに描かれた人物像が実は確りした人体の把握に基づいていることをあらためて知ることができる。明治二十三年(一八九〇)五十五歳の「北野大茶湯図巻」一巻は、太閤豊臣秀吉殿下への尊敬の意と、その大事業への好奇心をよく伝える。明治三十四年(一九〇一)六十六歳の「おどけ画」一冊は、仙ガイ和尚の書画のような味わい。慶應三年(一八六七)三十二歳の画帖二冊の内「清娯帖」一冊は、茶道具や文房具を几帳面な筆致で描いて、清らかな味わい。
夕方四時四十分頃に美術館を出て、参道を降りて、清荒神駅へ到着したとき丁度、急行の電車が到着したので直ぐに乗車。五時四十五分に梅田駅へ着いて、紀伊國屋書店で雑誌を購入してから地下鉄御堂筋線の梅田駅へ歩き、淀屋橋駅へ移動。ホテルに近い蕎麦店で夕食を摂って、六時半頃にホテルへ入った。
宿泊室へ入った荷物を少し広げたあと、疲れたので横になって、目を覚ましたのは夜十一時頃だった。ゆえに中川大志出演テレヴィドラマ「夜行観覧車」の第一話を最後の方しか見ることができなかったが、自宅では録画を予約してあるので帰宅後には見ることができる。そのあとも引き続きテレヴィを点けていたら、別のチャンネルで「仮面ライダーフォーゼ」の福士蒼汰が出ていた。もちろん普通の髪型で。