旅行記五/上野恩賜公園/東京国立博物館

旅行記五。
目を覚ましたとき既に朝九時の少し前だった。「仮面ライダーウィザード」第二十一話を見逃したが、自宅では予約を録画してあるので帰宅後に見よう。なおも眠り足りず強烈に眠かったので再び寝て、再び起きてホテルから外出したのは十一時半頃だったろう。
御徒町駅に近いガード下のパン店に寄って、コロネを二種、芋とソーセージを載せたパンを購入して上野恩賜公園へ。高村光雲西郷南洲銅像の脇にあるベンチに座して昼食を摂り、正岡子規の野球の記念碑も見物。
東京には久し振りに来たが、上野恩賜公園も様変わりしていて、東京国立博物館本館へ向かって伸びる広場の左右に木造の広々とした喫茶店が設置され、また、樹木が少なくなって妙に見晴らしが良くなり、各施設の位置関係が分かり易くなった。広場の中央に立てば、動物園の入口が近く感じられたし、国立西洋美術館国立科学博物館東京都美術館も垣間見えた。かつては公園内に別世界を作り上げていた感ある上野東照宮の華麗な社殿が広場の直ぐ傍であることも実感された。色々様変わりした中でも特に変わったのは噴水の池の形で、しかも狭くなったように見えた。池を狭くしたとすれば、それは広場を広くしたかったからだろうか。
昼十二時二十八分頃に東京国立博物館へ入館。
先ずは平成館へ行き、特別展「書聖 王羲之」を見物。大混雑で存分に観照することは不可能だったので、空いている箇所を見付けては見て、絵画を見付けては見て、かなり速めに会場を回ったが、池大雅の「蘭亭曲水龍山勝会図屏風」(重要文化財)だけは時間をかけて観照した。幸い、ここは混雑に見舞われなかったようだが、王羲之の愛好家は池大雅の書画を解しないのだろうか。展示されているものが一部を除けば全て、東京国立博物館台東区書道博物館五島美術館をはじめ国内に蔵されていて、唐土の文物を熱心に収集して大切に保存してきた日本の古代以来の文人の伝統の厚みには驚嘆せざるを得ない。
売店で図録を購入してから一階へ降りて、鶴屋吉信で「つばらつばら」と「紡ぎ詩」各一個を購入して休憩。この博物館の楽しみの一つ。
平成館一階の企画展示室で特集陳列「南九州の古墳文化」を見物。宮崎県西都市にある西都原古墳群の出土品を中心にした展示。古代神話に天孫降臨の地と伝えられる宮崎の最盛期は、やはり古墳時代にあったのかもしれないと思われた。
平成館から渡り廊下を通って本館へ移動。東京国立博物館一四〇周年特集陳列「ライプツィヒから来た白磁彫刻-博物館草創期の国際交流2」は、古代ギリシア彫刻や新古典主義彫刻を白磁で模した小さな彫刻群の展示。何れもライプツィヒ民族学博物館からの寄贈。「ライオン狩り」にしても「マルリーの馬」にしても、小さいながらも馬や裸体の表現が確りしていて見応えがある。「ボルゲーゼのアレス」胸像が着衣になって兜も少し派手になっているのも面白い。
二階へ。国宝室は、雪舟の「秋冬山水図」双幅(国宝)の展示。禅宗室には一休宗純の「杜甫騎驢図賛」あり。山田道安の「鍾馗図」も面白い。伝周文の「四季山水図屏風」(重要文化財)では、雪景色の、雪を冠した岩の表現が軽快で楽しめる。屏風室には「老松図」六曲一隻、松村景文の「蘭亭曲水図屏風」六曲一双、彭城百川の「山水図屏風」六曲一双(重要文化財)。書画室には狩野随川岑信の「李白観瀑図」、尾形光琳の「李広射石図」、円山応挙の「雪中老松図」、佐竹曙山の「紅梅椿図」、長沢芦雪の「呉美人図」等。谷文晁の「山水図」は、いかにも寒そうな林の中を、強風に吹かれながら歩く高士の姿が印象深い。東東洋の「蘭亭曲水図屏風」では、酒の杯を曲水へ流そうと準備している童子二人の様子が愛らしい。岡田為恭の「東遊図」には白描画のような清潔感がある。高円宮コレクション室は、室内の様子も見所。
二階の展示室を一周し終えた時点で既に閉館時間が迫っていたので一階の展示室を一周することを諦めたが、一応、一階の帝王階段の下に特別室で開催されている東京国立博物館一四〇周年特別展「飛騨の円空」を一通り見物して図録を購入。地階の売店でも八冊の図録を購入したので、王羲之の図録と円空の図録も合わせて十冊まとめて宅配便で発送することにした。
閉館時間の夕方五時に達したので博物館を退出。東洋館へ入ることができなかったのが誠に残念。噴水の脇を歩き、国立西洋美術館のラファエッロ展の予告の看板を見て、JR上野駅を通過して飴屋横丁にあるハンバーグ専門店で早めの夕食。御徒町駅に近いガード下のパン店にも寄って明日の朝食のためのパン数個を購入してホテルへ帰った。急に眠くなったので寝て、起きたのは深夜十一時頃。
午前二時頃からインターネットに接続できなくなり、以上の記事をアップロードできない状態のまま翌朝になっても状況は変わらず。七時(二月四日)にホテルのフロントに連絡してみたところ、一応は何か対応しようとしたようだが、相変わらず。そのあと再びフロントに問い合わせたものの、やはり解決されなかった。二月四日午前八時二十五分記之。八時五十二分、漸く接続することを得た。