渡る世間は鬼ばかり特別篇後篇

橋田寿賀子ドラマ「橋田壽賀子ドラマ渡る世間は鬼ばかり」。
二週連続二時間特別篇の後篇。
先週放送の前篇を見逃したが、それでも支障なく後篇だけで楽しみ得るのは有難い。なぜならこれは云わば動画付のレイディオ劇であるからだ。物語の何もかもを台詞で説明し尽くして、ゆえにどこから見始めても話に付いてゆけるのがこのドラマの基本をなしている。
そのような、今時のテレヴィドラマでは概ね避けられる手法を進んで採用している点も含めて様々な笑い所を提供してくれるのがこのドラマの妙味ではあるが、今宵のこの後篇を見る限り、実は思いのほか笑い所が乏しかった。二十一世紀の石原裕次郎とでも形容するしかない大原透(徳重聡)の、このドラマ世界に異質であるのみならず現実世界からも乖離しているかのような颯爽とした風貌と、妙に朗々とした歌声こそは安定した笑い所だったが、その他は全体として真面目だった。
思うに作者自身が、そろそろ物語を締めくくらなければならないと決意した結果ではないのだろうか。実際、この後篇には明確な主題があり命題の弁証があった。
世に「血は水よりも濃い」と云われるが、この永年にわたる物語は常にその命題の真理性を問うてきた。単に疑問を呈して面白がるのではなく、むしろその真理性を強く肯定した上で、それに対立する命題の真理性をも弁証し、何れも真であることを確かめながら家族の姿を考えてきたのだ。
例えば、小島家ラーメン店「幸楽」において小島キミ(赤木春恵)が長男の小島勇(角野卓造)や実の娘である山下久子(沢田雅美)や小島邦子(東てる美)を愛して長男の嫁の小島五月(泉ピン子)を愛さないのは、血は水よりも濃いことを証明する。小島五月自身も、何事かある度に実家の高級料理店「おかくら」の岡倉家を頼ってしまい、血は水よりも濃いことを認めている。それでも小島五月は、妹の本間長子(藤田朋子)とは違い、実家へ帰ってそのまま住み着いてしまおうとはしない。長女の田口愛(吉村涼)と長男の小島眞(えなりかずき)を生み育てた小島家こそが自身の居場所であると信じているからであるとすれば、このことは一見、やはり血は水よりも濃いことを証明しているようではあるが、実は小島五月は、ああ見えて夫の小島勇を愛してもいて、ゆえに小島家を出ないのだ。ここには血よりも濃い水があり得ることの示唆があり、そのことの真理性は、そこから新たな血縁が始まるという事実によって裏付けられてもいると解さなければならない。
血は水よりも濃いという家族観に対するこの上なく強烈なアンティテーゼとして出現したのが、野田弥生(長山藍子)と野田良(前田吟)の老夫婦を核とする野田一家であるのは云うまでもない。この夫妻は、長女に家出をされ、長男を勘当した結果、長女の子である孫の野田勇気(渡邉奏人)を引き取り、さらに長男の嫁の野田佐枝(馬渕英俚可)と、この嫁の連れ子の野田良武(吉田理恩)をも引き取ったが、さらには驚くべき哉、野田勇気の友人である合田篤(小林海人)をも、唯一の肉親だった母を失くしたとき引き取って家族にしてしまった。血のつながらない者同士で肩を寄せ合うようにして生活する奇妙な大家族を作り出したのだ。
しかし今宵の話では野田一家に出る幕はなかったようだ。こんな奇妙な事例ではなく、もっと自然な、常識に適った事例を通して、血よりも濃い水があり得ることをさり気なく描いたからだ。
その一が、岡倉文子(中田喜子)と元夫の高橋亨三田村邦彦)との間の愛の確認に他ならない。岡倉文子が病に倒れて入院したとき、本間長子は実の妹である自身こそが姉に付き添う正統な資格を有すると考え、今や他人でしかない高橋亨が病院に付き添うことに対しては違和感と不満を表明し続けたが、岡倉文子自身が実の姉妹よりも高橋亨を選んだ。そして入院生活の間、二人で愛を確認し合うことを得て、退院と同時に求婚して、ついに再婚した。
岡倉文子と高橋亨が病室で永年の互いへの思いを語り合う場面が幾度か繰り返されたのちの退院の朝、意を決した岡倉文子が高橋亨に求婚していたところへ不意に岡倉大吉(宇津井健)がやって来て邪魔した格好になった場面は、老巨匠橋田寿賀子の筆力を存分に発揮したような味わい深い面白さに満ちていたろう。
今宵の事実上の主人公は大原透だったと見られる。見せ場が多かったと同時に、今宵の主題を一人で担ってもいた。彼の妻である大原葉子(野村真美)が子育てに疲れて家出したとき彼は、妻の姉妹が揃って押し掛けてきて助力を申し出てくれたのを丁重に断って、自身一人の手で子育てをしてみせると宣言した。自身の子を自身で育てるのであるから、これは血は水よりも濃いことの証明であるとも見えるが、反面、妻の大原葉子を基準にして見直すなら、実の姉妹よりも夫が真の理解者だったことを物語ると見ることができる。もし大原透が野田弥生や小島五月や岡倉文子や本間長子からの助力を受け容れていたなら、大原葉子は夫の愛を再確認できなかったかもしれないし、どう行動して良いかも判らなかったかもしれない。実の姉妹の手前、惨めさを感じていたかもしれない。
大原透は、己の妻の真の理解者は妻の姉妹ではなく夫である己であることを力強く颯爽と証明してみせた。しかも彼は、そこから新たな血縁の始まりを得ている。身寄りのない天涯孤独の身だったらしい大原透は、もともと家に収まるのを嫌って自由奔放に生きてきた女に対し、肉親の情に勝る大きく強い愛を明らかにして、そこから新たな家族を生み育てようとしている。まさしく物語の主題を、彼が一身に担ったと見ることができるように思われる。
近年このドラマを盛り上げてきた人々も、この主題に沿っている。小島眞は両親よりも妻の大井貴子(清水由紀)を大切に思っていることを表した。もっと明確に主題を表したのは森山壮太(長谷川純[ジャニーズJr.])と長谷部まひる(西原亜希)の夫妻であると云える。夫とともに高級料理店「おかくら」で働き始めている長谷部まひるは、出勤時に「ただいま帰りました」と挨拶するが、これは「おかくら」を家族のように感じていることから自然に出た語だった。そうした中で長谷部力矢(丹羽貞仁)は、結婚を機に妹と離れざるを得なくなっていることを寂しく感じているようだが、これは、血が水よりも濃いことの否定し難さを強調してもいるのだろう。