仮面ライダーウィザード第四十五話

平成「仮面ライダー」第十四作「仮面ライダーウィザード」。
第四十五話「笑顔は胸に」。
操真晴人(白石隼也)は、魔力の消耗が異様に速くなってきているばかりか手の肌に異常を来し始めてもいるコヨミ(奥仲麻琴)のため、盛大に魔力を注入した。あれだけ多量の魔力を注入しても、コヨミの身体の異常は治癒されなかったが、操真晴人の魔力が消耗されたのは間違いない。あれは必ずや彼の戦闘能力にも深刻な影響を及ぼしたに相違ないと想像された。
ところが!操真晴人=ウィザードは直後に発生した戦闘の場では普通にセイレーン静音ファントム(太田彩乃)と闘い、力尽きることもなく相手を追い詰め、ついには撃破した。どういうことだろうか。
よく見てみると、コヨミの異常について輪島繁(小倉久寛)からの電話連絡を操真晴人が受けたのは夕方で、操真晴人が面影堂へ帰宅したのは夜。彼がコヨミに魔力を注入したのは同じ夜のことだったに相違ない。そして静音セイレーンが酒井翔(山田日向)に声をかけたのは翌朝で、その直後に電子レンジ騒動があり、大捕物のあと、戦闘が始まった。操真晴人の魔力が一晩だけでも休息すれば回復し得ることは既知のところであるから、もし彼がこの朝にはコヨミの治癒を試みていなかったとすれば、戦闘のための魔力が充分に満たされていたと考えられる。
前夜に試みて成功しなかったコヨミの治癒を、この朝、操真晴人が改めて試みようとはしなかった…というのは何とも意外ではあるが、そのように考えるしかない。
考えるべき問題が他にもあった。奈良瞬平(戸塚純貴)が操真晴人と仁藤攻介(永瀬匡)を叱責した場面をどう見るかという問題。
仁藤攻介は殆ど濡れ衣で叱責されたと云うに近い。他方、操真晴人はゲートを犠牲にしようとしていた。叱責されて当然ではある。しかるに操真晴人にはゲートを犠牲にしてでもコヨミを救いたいという思いがあった。奈良瞬平はそれを知らなかったわけだが、コヨミとゲートの何れを優先させるべきか?という二者択一で迷った末に操真晴人はコヨミを選択したわけで、このときの操真晴人の思考に即して思考するなら、彼の決断を簡単に否定し去ることはできない。なぜならゲートの保護を優先することはコヨミを犠牲にすることを含意するのだからだ。
もっとも、そもそも操真晴人のこのときの思考それ自体が破綻しているということも指摘できる。セイレーン静音を打倒することはゲートを救出し保護するための確実な道だが、白い魔法使い=笛木奏(池田成志)の使者であるケルベロスを追跡することがコヨミを治癒し救出するための道であるかどうかは実は定かではないからだ。要するに操真晴人が直面しているつもりだった二者択一は二者択一として成立していない。迷う余地なんかなかったのだ。
しかし同時に、ゲートを犠牲にしても大丈夫ではないかと思うに至った操真晴人の勘の正しさも指摘しておく必要はある。
なにしろ今回のゲートである元小学校教師の熊谷義和(山崎銀之丞)は操真晴人の小学校時代の師に他ならない。父母を亡くした当時の操真晴人(中島凱斗)の心の孤独を早くから見抜き、亡き父母の「最後の希望」であるから強く生きてゆきたいと誓う彼のため、「かわいい教え子の希望になってやりたい」と誓った人であり、その思いは、十年前に愛する子息を亡くして教師を辞した今も変わってはいなかった。今なお何か悩んでいる様子の操真晴人のために「希望」になりたいと強く願望している程の熊谷先生が、子息の形見の玩具を破壊された位のことで絶望するはずがない。現に熊谷先生は、ゲートである自身を犠牲にしようとした操真晴人の行動を、自身への操真晴人の信頼の表れであると理解して、喜んだ。それどころか、熊谷先生は子息の形見の玩具を、酒井翔を孤独にしている原因の一であると認識するや、自ら破壊してみせたのだ。
熊谷先生は多分、ファントムの力では絶望させられない。絶望を克服すれば魔法使い候補者にもなるが、それ以前に、絶望させられることさえもない。
ところで、ソラ(前山剛久)は遂に、コヨミこそが「賢者の石」であるに相違ないと考えるに至ったらしい。賢者の石を何としても手に入れたいと考える彼は、いよいよコヨミを手中に収めるべく行動し始めるのだろう。しかるにワイズマン(声:古川登志夫)は世界に唯一残る賢者の石の所有者であると自認している以上、コヨミの父と見られる笛木奏とワイズマンとの関連性は一段と強くなったと考えられる。
ソラはメデューサ中山絵梨奈)との会話中、賢者の石で叶えたい願望として、人間になることを挙げた。しかるにソラの前身である人間「滝川空」は黒髪の長い女子ばかりを狙う快楽殺人者だった。ファントムに視覚と聴覚はあるが、味覚がないことは既に明らかにされていた。触覚がなかったかどうかは記憶にないが、ファントムは感覚の一部を欠いているに違いない。ソラが人間になりたいと欲望するのは邪悪な快楽の感覚を取り戻したいと欲望するからではないだろうか。