ぴんとこな第九話

木曜ドラマ9ぴんとこな」。第九話。
ドラマとは行為を必然の相の下に描くものであり、しかるに行為を担うのは人格に他ならない。仮にそうであるなら、この「ドラマ」はドラマとは違う何かであるのかもしれない。なぜなら行為の必然性を担う人格の一貫性が認められないからだ。
歌舞伎の名門「木嶋屋」の御曹司の河村恭之助(玉森裕太)に対する「轟屋」門人の澤山一弥(中山優馬)の叱責の場面がその顕著な例として挙げられる。この場面において河村恭之助は極めて不自然にも、普段の彼とは異なった言動を見せた。あたかも澤山一弥からの叱責を引き出したかったかのように。多分、ドラマ制作者は澤山一弥のために格好よい出番を拵えたかったのだろうし、同時に、苦悩の末に覚醒して行動に出る河村恭之助の変化も見所になり得るとでも思ったのだろう。だが、今まで殆ど常に考えるよりも先ずは行動してきた河村恭之助が、このときばかりは行動するよりも考え込んでいたのは不自然であるし、選りにも選って彼の考えていたことは世間体のことだったのだ。確かに普通の御曹司であれば世間体を考えなければならないだろうが、少なくとも彼はそうではなかったはずだ。見せ場を作ろうとしてドラマを破壊した顕著な事例であると云える。
この見せ場の帰結として、澤山一弥には「破門」という破局が訪れるらしいことが次週予告から明らかだが、無理を重ねて拵えられる無理な展開をそのまま面白がることのできる視聴者は稀だろう。
河村恭之助と澤山一弥と千葉あやめ(川島海荷)の危機の現場に、「木嶋屋」河村世左衛門(岸谷五朗)と「西田屋」佐賀田完二郎(山本耕史)が現れて悪役を退治したところには、変身ヒーロードラマにも似た痛快感がなくはなかったが、ここで佐賀田完二郎が一寸した冗談として思い切り歌舞伎の物真似をしたのは有効だったろうか。歌舞伎に取材した物語であるにもかかわらず歌舞伎の出る幕が全くない中で歌舞伎の物真似だけが、しかも劇中の冗談として出てきたのだ。まるで悪い冗談に見える。どうせ悪い冗談をやるなら、事件現場へ入るときも歌舞伎らしく「しばらく!」と声をかけた方が潔かったのではないかと思われる。
暫く!の声をかけられなかったものの、ヒーローによって成敗された悪役衆。その頭は選りにも選って千葉あやめの実父の、銭に飢えた千葉啓介(佐野史郎)と、彼とは旧知の間柄の、醜聞と捏造を得意とする東西新聞社編集長の大川正也(小木茂光)。そして大川正也の子分の男女集団。絵に描いたような悪役を、強烈な嫌悪感を惹起しないではいないようにして見事に演じた佐野史郎小木茂光
そんな中、河村恭之助を「恭ちゃん」と呼び、杏星学園高等学校におけるその一番の理解者であり親友であると自負している坂本春彦(ルイス・ジェシー改めジェシー)の今回の出番は、番組開始から十八分間程を経た辺に一度だけ。しかし「恭ちゃん」の周囲に生じている事態を把握できる立場にはない彼が一番の理解者であり得るはずがなく、今回も見当違いな言を発しただけだった。しかし「恭ちゃん」に対する彼の「千葉とのラヴラヴ生活、終わっちゃうもんね?」という冗談には、いつものように親友を挑発して攻撃を惹起することで身体の接触を招きたいという少しエロティクな狙いと同時に、本当に「千葉とのラヴラヴ生活」が終わって欲しいという願望も垣間見えた(ような気がする)。