仮面ライダー鎧武第四十五話

平成「仮面ライダー」第十五作「仮面ライダー鎧武」。
第四十五話「運命の二人 最終バトル!」。
約一年前から先週までの四十四話を見てきて今朝の話を見た者は、主人公が選択した余りにも悲しい決別を、必然の悲劇として受け止めることだろう。
今朝の話が描いたのは、第一には、吾等が主人公、鎧武=葛葉紘汰(佐野岳)と、彼の唯一の家族である姉の葛葉晶(泉里香)との永遠の別れであり、第二に、バロン=駆紋戒斗(小林豊)とナックル=ザック(松田岳)との死闘だった。
今朝の副題に「運命の二人」と出ているように、世界の未来を賭けて戦うことを運命付けられていた二人が、それぞれに今までの人生と決別して己の運命を受け入れる話だったとも云えるが、後者に関して云えば、駆紋戒斗は既にダンス集団「バロン」という己の家を捨てていた。決別できていなかったのはザックとペコ(百瀬朔)の側だ。対するに前者は違う。葛葉紘汰は何時でも、家族と仲間と世界を守りたかったのであり、それは今でも変わりない。姉の葛葉晶もまた、何時でも弟の親代わりであり、弟の無事を願ってきた。
しかし今、弟は姉と仲間と世界を守るためにこそ、姉と仲間と世界との決別を決意した。本来の己の志を遂げる決意でもあるが、己の身体に生じた異変を受け入れる覚悟でもあった。
葛葉紘汰の身体の異変は、実に時間をかけて描かれてきた。最も顕著になった場面でさえ、六月八日放送の第三十三話にまで遡る。あのとき彼は、カレーの味を薄いと感じた。人間の味覚を失いかけていた。やがて食欲をも完全に失った。人間の身体ではなくなっていたのが(少なくとも視聴者には)明白だった。
もう一つの異変の徴候として、傷が癒える速さがあった。先週の話の冒頭、ペコとチャッキー(香音)が発見して保護したときの葛葉紘汰は瀕死の重傷を負っていたが、傷は間もなく癒えていた。先週の話の後半で彼は駆紋戒斗によってさらなる打撃を受けたが、今朝の話の前半、その傷も早くも癒えていた。ダンス集団「鎧武」の拠点であるガレージに集っていた皆がそのことに驚いたとき、ついに葛葉紘汰は、己の身体が人間ではない何かになろうとしているらしいことを明かした。この予想外の(とはいえ視聴者にとっては既知の)事実に、皆が衝撃を受けていた。もちろん姉の葛葉晶も、心配を募らせないわけがなかった。
だから葛葉晶は、弟が一人で街へ出たとき、心配して追いかけた。
弟は己の身体の異変を確かめるため、ヘルヘイムの植物の実を食べようとしていた。姉は止めたが、弟は食べて、泣きながら人間との決別の運命を受け止めた。「ごめんな、姉ちゃん。もう姉ちゃんの手料理、食べられないや」「いいんだ、姉ちゃん。ほら、前にも云ったことあっただろ?今とは違った自分になりたいって」。「だからって、そんな体になってまで、あなたは…」。「これが正しいかどうかは解らない。でもな、今なら、今の俺なら正しい人たちの味方ができるんだ」。
この物語の初めの頃、葛葉紘汰と葛葉晶の、姉と弟二人だけの、貧しいながらも豊かで幸福な食生活が幾度も描かれた。高司舞(志田友美)が高級洋菓子店「シャルモン」のケーキを持ってきて、三人で食べたこともあった。急激な景気悪化に伴って食費を切り詰めざるを得なくなり、コロッケ一個を二人で分けなければならなくなったときもあった。キカイダーのジロー(入江甚儀)を家に引き取って、三人で食事を楽しんだときもあった。あのような楽しい日常は二度と戻らない。
こうして葛葉紘汰が姉に別れを告げた直後、街には自衛隊のヘリコプターが最後の救援のため飛来した。日本国政府は滅んではなかった。シェルターを作り、生き残った国民を退避させていたらしい。そして沢芽市内の避難民に対しても、随時、救援を行っていたようだ。その際、避難民は「ビートライダーズ」が沢芽市内に踏み止まって、避難できないで困っている人々を救出して、市外へ退避させる活動をしてくれていることを証言してくれていた。それを受けて今、ようやく自衛隊が、最後の避難民としての、自己を犠牲にしてまでも人々を救おうとしてきた真のボランティア集団であるそのビートライダーズの救援に来たのだ。
ところが、ビートライダーズは素直には喜べなかった。そこには全員が揃ってはいなかったからだ。ペコはザックが戻ってきていないことを訴えた。チャッキーは葛葉紘汰と葛葉晶が不在であることを訴えた。これに対して自衛隊員は、政府から許された沢芽市内への滞在時間は五分間だけであることを告げた。さらに、ヘルヘイムの浸食に伴って身体に異変を来した者は救出の対象外であることをも告げざるを得なかった。このことの意味は、少なくとも葛葉紘汰と駆紋戒斗の二人だけは、何があろうとも救出の対象外であるということだった。
ビートライダーズの憩いの場だったフルーツパフェの店「ドルーパーズ」から、ペコとチャッキー、凰蓮・ピエール・アルフォンゾ(吉田メタル)と城乃内秀保(松田凌)、そして店主の阪東清治郎(弓削智久)が、仲間を心配して不本意のまま、自衛隊のヘリコプターへ救助されようとしていたところへ、葛葉晶と葛葉紘汰も到着した。「やっぱり俺たち、見捨てられていなかった」。姉は弟と一緒に行こうとしたが、弟は一人留まった。「みんなに伝えてくれ。戒斗やザックのことは俺に任せろって。先に街から避難しろって」。
そう告げて、姉を見送ったあとの葛葉紘汰の顔は、この一年間で最も晴れやかに爽やかな表情を見せていた。
他方の、駆紋戒斗の物語は、事実上はザックの物語であり、それは裏面においてはペコの物語でもあった。葛葉紘汰が姉に守られる者から姉を守る者へ変わったのに比較して、駆紋戒斗は良くも悪くも何も変わらなかった。変わったのはザックだった。戦う意味は誰かを守ることにあり、誰かを守ることこそ誇らしく、強さはそのためにあるべきであると知った。ザックの思いは、今、葛葉紘汰の思いと同じだった。そのことを誰よりも正確に理解したのは元軍人の凰蓮・ピエール・アルフォンゾだったが、ザックを誰よりも心配したのは無論、ペコだった。それどころか、ペコは今なお駆紋戒斗を慕い、信頼して、心配していた。ザックはペコの思いに応えるためにも駆紋戒斗を正気に返させたかったのだ。
家を捨てた駆紋戒斗と、家を守るため戦うザック、家で待ち続けるペコ。彼等三人のこの構図を踏まえるなら、世界征服へ向けて動き始めた駆紋戒斗を止めようとしたザックの作戦の拙さには充分な理由があったと了解できる。単に駆紋戒斗を倒したかったのであれば、黙って爆弾を仕掛けておけば良かったのだが、ザックは先ずは駆紋戒斗の真意を確かめ、説得できるようであれば説得し、可能であれば連れて帰りたかったに相違ない。
無論これは裏目に出た。王になろうとしている駆紋戒斗を、臣下の分際で非難し否定したザックの言動に反逆の気配を察知した湊耀子(佃井皆美)は、愛する王の身を守ろうとしてザックと格闘した挙句、王の身代わりになって爆弾の衝撃を一身に浴びて、致命傷を受けた。臣下になり済まして近付いてきたザックの謀反を、駆紋戒斗は容赦なく成敗した。
しかるに駆紋戒斗の反撃が単なる報復ではなかったのは、ザックにとっても視聴者にとっても救いだった。駆紋戒斗はザックと己との戦いを、信念を異にする二人の間の真剣勝負と見た。予て己の配下であり続けたザックが、今や己と対等に意見を戦わせ、対等に力を打つけ合える「強者」になったことを、駆紋戒斗は素直に喜んでいた。「俺の務めだ。」「俺には守るものがある。犠牲を超えて戦う価値がある」というザックの言は、主人公の言であるようにさえ響く。駆紋戒斗の「そうか、強くなったな、ザック」という言は、彼がザックの正しさを認めていることを物語る。ザックは力及ばず倒されたが、武器を破壊されただけだった。「俺が最後じゃない。誰かが、また…」というザックの言は、八月十日放送の第四十話において葛葉紘汰の夢に出てきたアーマードライダー鎧武=角居裕也(崎本大海)がオーバーロードと化した葛葉紘汰に告げた言と同じであり、この、志における無私の姿勢においてもザックは「角居裕也」=葛葉紘汰に近い。これに対して駆紋戒斗が「ああ、わかってる」と呟き、それを聞いてザックが無邪気な笑顔を見せたのは、最後に死闘を繰り広げた二人が真に仲間であることを表していた。
それに比較するなら、湊耀子の最期は惨めだった。愛する駆紋戒斗を庇って致命傷を受けた湊耀子は、戦い済んで駆け付けてきた彼に問いかけた。もし「知恵の実」を掴んだのが高司舞ではなく己であったとしても、同じように愛し求めてくれたのか?を。これに対して彼は「耀子は耀子。知恵の実は知恵の実だ」とだけ返した。この一言だけを聞けば、知恵の実であろうと否とを問わず湊耀子を大切に思っているかのように聞こえなくもないが、文脈から、それはあり得ない。求めるものは「知恵の実」であるからだ。だから湊耀子は「ほんと…不器用な人…」と呟いて果てたのだ。恋する乙女にとっては、ザックの爆撃よりも駆紋戒斗のこの一言こそが致命傷になったのではないのか。しかし思い起こせば、この女は今まで数多くの悪事を働いてきた。人命救助を邪魔し、少年を堕落させ、上司を殺害した。天罰を受けて然るべきだった。そう考えるなら、この悲しくも美しいかのように見える最期の場面における精神への冷酷な一言は、実に良い天罰ではなかったろうか。
ともかくも、こうして決戦の場は作られた。ペコ、チャッキー、凰蓮・ピエール・アルフォンゾ、城乃内秀保、阪東清治郎、葛葉晶は自衛隊に救助されて市外のシェルターへ避難した。湊耀子は天罰を受けて亡くなった。沢芽市内に残る人間は、ザックと、呉島光実(高杉真宙)の二人だけ。全てを失った呉島光実は泣きながら相変わらず亡き兄、呉島貴虎(久保田悠来)の影との対話を繰り返していたが、ついに、己が何者にもなれなかったという事実に思い到り、それをどう受け止めるかを考え始める境地にまで達しつつあった。次週には何か行動を起こすのかもしれない。
市内にあって人間ではなくなった「運命の二人」、葛葉紘汰と駆紋戒斗は、大勢のインベスを召喚して大軍勢を編成し、相対峙した。これに先立って葛葉紘汰は「始まりの女」に、戦いの果てに実現したい未来の像が見えてきたことを明かし、己の戦いが駆紋戒斗と高司舞のためにあることを告げ、「迎えに行くよ、舞。そう長くは待たせない」と約束した。
力を求め続けた駆紋戒斗が「知恵の実」を使って高司舞と一緒に創り上げたい世界とは、「弱者が踏みにじられない世界」だった。彼の両親が営んでいた町工場がユグドラシルによって買収され、高司舞の家が代々守ってきた鎮守の森の高司神社がユグドラシルによって撤収されたのは、実に、彼のあらゆる行動の原点、原理だった。古くて優しくて、しかし弱い者。彼にとって真に大切なものはそこにあり、そうした古くて優しいものを虐げ、破壊し続けてきた「強者」を彼は許せない。「古いもの、弱いものは消え、新しくて強いものだけが生き残る。力だけを信じ、弱者を踏みにじってきた人間たちのルール」を許せない。だから、弱い者を踏みにじってきた者が、もっと強い者の出現によって、「自らのルールで裁かれて消える」ことを望んできた。その願いのために、偽者の「強者」を圧倒し得る真の強さを、彼は求め続けてきた。そして、弱い者が惨めな思いをしない世界を創るために、彼は今の醜い世界を破壊し、白紙撤回しようとしている。
だが、今のこの醜い世界は、彼が慈しんでいる弱い者が今なお住んでいる美しい世界でもありはしないのか。弱い者を守ろうとして必死に戦っている者がいる世界でもあり、彼等の無事を祈りながら家で待ち続ける者がいる世界でもある。ビートライダーズがそうだったではないか。そのような人々をも滅ぼさなければならないのだろうか。葛葉紘汰が駆紋戒斗を許し難く思うのはその一点に尽きる。そして葛葉紘汰が、自身がこれから始める戦いを、駆紋戒斗と高司舞のための戦いでもあると宣言した意味もその点にある。彼の戦いは、小さな町工場や深い鎮守の森を守ろうとする者を守るための戦いであるからだ。
葛葉紘汰は「俺は、おまえだけには負けない。おまえを倒し、証明してみせる。ただの力だけじゃない本当の強さを」と宣戦し、駆紋戒斗は「それで良い。貴様こそ俺の運命を決めるに相応しい」と応じた。ここに幕を開けた戦闘の迫力、ことに葛葉紘汰の気魄は凄まじかった。大将同士の一騎打ちと、大軍勢が入り乱れる様は、流石、時代劇の名門である東映ならではの演出だったと云うべきであるに相違ない。