仮面ライダー鎧武第四十七話=最終回

平成「仮面ライダー」第十五作「仮面ライダー鎧武」。
第四十七話=最終回「変身!そして未来へ」。
主人公、鎧武=葛葉紘汰(佐野岳)の物語は先週の第四十六話で完結し、今朝の話は後日談。ここでの主人公は呉島光実(高杉真宙)であり、主題は彼の再出発だった。彼の立ち向かうべき敵として、映画版(そして夏の番外編である第三十七話)にしか登場しない「黄金の果実」の贋作であるコウガネが急に出現した点でも、今朝の話は番外編の性格を帯びたと云える。とはいえ、これによって未解決の要素が殆ど一掃され、真の意味において物語は完結し得た。良い最終話だった。
呉島光実の再出発は、もともと己が何を望んでいたのかを振り返り、かつては心から敬愛していた葛葉紘汰との間に共有できていた志を再発見して取り戻すことにあった。同じように、城乃内秀保(松田凌)も、己の野心のゆえに見捨てることになってしまっていた初瀬亮二(白又敦)との友情を思い出し、亡き友の供養のため、己が真の強さを見せなければならないと決意した。
呉島貴虎(久保田悠来)は、葛葉紘汰に辛い決断をさせてしまった己の至らなさを恥じ、呉島光実の苦しみに気付いてやれなかった兄としての己の至らなさを恥じて、葛葉紘汰を立派に育て上げたその姉の葛葉晶(泉里香)には敬意を抱いた。この敬意を彼は既に(確か第三十六話で)表してはいたが、当時は葛葉晶本人を知らなかった。今あらためて本人を前にして敬意を抱いた。多分、二人は結ばれるに相違ない。凰蓮・ピエール・アルフォンゾ(吉田メタル)は二人を祝福した。彼もまた、城乃内秀保という一人の人格を、パティシエという職業人として、アーマードライダーという戦士として、そして人間としても立派に育て上げた「兄」であると見ることができる。
呉島貴虎、葛葉晶、凰蓮・ピエール・アルフォンゾのような優しい大人に見守られ、別の星の神と化した葛葉紘汰の加護を授かりながら、城乃内秀保と協力して戦うことで呉島光実は生まれ変わった。
だが、呉島光実がこんなにも周囲から温かく見守られ、応援されることは、実は正しくはない。違和感がある。なぜなら彼は単なる被害者ではあり得ないからだ。彼は何者かに巧妙に騙されたわけではなく、何者かに精神を乗っ取られたわけでもなく、あくまでも己の智謀によって悪の道を選択し、悪事をなしてきたのだからだ。怜悧であるはずの彼の読みが悉く外れ続け、本意ではない方向へ流されたのは気の毒であるのかもしれない。かつて(第三十六話で)葛葉紘汰が述べたように、些細な一つの嘘を糊塗するために次々嘘を重ねた結果、何をなすべきであるかを判断するのではなく何をせざるを得ないかを判断するしかなくなって、ついには、己の本当の考えを見失い、取り返しのつかない方角へ流され続けてきたという面もあったのかもしれない。それでもなお、呉島光実を仲間として再び信頼し、受け入れ得るようになるためには、先ずは彼の罪の深さを前提しておく必要がある。
ペコ(百瀬朔)の「簡単には割り切れないだろ?」という一言は、そうした前提を強調する重要な役割を担った。彼はもともと、自身の気持ちを偽りなく表現し、行動せずにはいられない正直者で、そのゆえに駆紋戒斗(小林豊)に叱られたこともあったが、愛されてもいて、駆紋戒斗の心を動かしたことも(第十八話には)あった。実のところ、ペコは(第三十八話で)呉島光実に「屑!」と呼ばれて殺されかけたこともあるから、呉島光実を直ぐには許せないのが当然だが、無論それだけではなく、人類を裏切った呉島光実の言動に対しては「簡単には割り切れない」のが当然であって、誰かがそれを云わなければならなかったのだ。仲間だから許してあげたい…というのは寛容な態度のようでいて、その実は仲間内の私情だけで世間を裏切る行為であり、正義に反している。
呉島光実の罪を許し、呉島光実を素直に受け入れることができるためには、先ずは呉島光実が己の罪を認め、罪を償うべく行動しなければならない。それまでは待つしかない。ペコの兄貴分であり一番の友であるザック(松田岳)が、ペコを宥めながら述べたのはそのことだったろう。
呉島光実が己の罪を償うべく立ち上がり、立ち直ったのを見届けて、新たに開拓しつつある星へ戻るべく旅立つ直前の「始まりの男」葛葉紘汰と「始まりの女」高司舞(志田友美)は、駆紋戒斗にも改めて別れを告げることができた。
驚くべきことに、駆紋戒斗は沢芽の鎮守の森のあの御神木として再生していた。土地の子供たちの語るところによれば、ある日、突然、あの巨大な老樹が地中から現れたらしい。御神木がユグドラシルに撤去されて以来、そこに鎮守の森はなく、高司神社もなく、広大な空き地だけが残されていたが、今、そこに御神木だけは復活した。古く美しく弱いものを誰よりも愛していた駆紋戒斗の、古く美しい御神木としての復活は、物語の最後を飾るには実に相応しい結末だった。