ケータ三題―雑な性格/笑論/犬時間

ニコニコ動画の「テレビ東京あにてれちゃんねる」(http://ch.nicovideo.jp/ch7)内の「妖怪ウォッチ」チャンネル(http://ch.nicovideo.jp/youkai-watch)で最新の第六十六話の配信あり。
第六十六話を構成する三話の全てに登場するのは実はケータだけ。先週の第六十五話でも全てに登場したのはケータだけだったが、「コマさん探検隊」最終回におけるケータの出番は短かったのに対し、第六十六話ではケータが常に話の中心にいた。その意味ではケータが大活躍したと云えるが、何となく悲しい役割に徹していたとも云える。
先週で完結した「コマさん探検隊」に代わって今週からは「ざしきわらし」の小話が始まった。その第一弾が「神経質なざしきわらし」。どうやら色々な性格の座敷童がケータの家に現れては消えてゆく話になるらしい。この趣向は往年の「ドリフ大爆笑」における「もしも」連作に近い。そういえば今週の「きょうの妖怪大辞典」も「ドリフ大爆笑」のような終わり方(唐突な爆発)をしていた。
神経質な座敷童にとっては、ケータは耐え難い程に粗雑だったわけだが、この少年男子らしい雑な性格は既に描かれたことがあった。第二十七話「正しい箱の開け方」で、新型の妖怪ウォッチ零式を遂に手に入れたとき乱暴に開封して乱暴に扱い始めたケータの雑な性格に、ウィスパーが苛立っていたのは記憶に新しい。
妖怪わらえ姉の事件。人を笑わせることになんか何の興味もなかったケータが、わらえ姉に煽られた挙句、わらえ姉に入門し、体型も顔も変えてしまう程にも修行に邁進した結果、その努力と気魄は喝采を浴びたとはいえ、冷静に見れば「わらえねえ」としか思えない事態になっていたという話。
この話の完成度の高さは、ケータの心理が追い詰められてゆく過程と、わらえ姉という妖怪の中途半端な性格を、さり気なくも確り描いている点に表れている。
わらえ姉は人々の笑いを吸収して独占してしまう妖怪であって、笑わせる妖怪でもなければ笑わせる技を与え得る妖怪でもない。古今東西のあらゆる笑いを見てきて、笑いに「うるさい」妖怪でしかない。云わば、漫才コンテストの予選で審査員をつとめる放送作家のようなものだろう。笑いの新しい形を求めたい!と称して妙な理屈を捏ねくり回し、本当に面白いのが誰であるのかを判別できなくなっている類の「わらえねえ」連中であると云ってもよい。その「わらえなさ」加減は、ケータによって召喚されたジバニャンの、トラックとの闘いでボロボロになった気の毒な姿について、ジバニャン自身が戸惑うような無茶な理由で称賛したところに描かれている。
今週の白眉が「犬時間」にあるのは言を俟たない。怖い事件に見舞われて、それが夢だったかと安堵したのも束の間、やはり現実だったという怖さ。第四十二話「ガブニャンハザード」が既にそのような怖さを描いたが、今回の「犬時間」がそれとは比較にもならない程に怖いのは、ケータの味方が一人もいなくなるから。ガブニャンの事件では、人々が次々にガブニャン化してゆく中、一緒に戦ってくれていたクマとカンチとフミカまでもが遂にガブニャン化してしまったのちも、ウィスパーとジバニャンだけは最後まで一緒に戦ってくれた。もちろん「犬時間」でも、ウィスパーとジバニャンは行方不明のケータを心配して街中を探し回ってくれていた。雨天時には決して外出しようとしないはずのジバニャンが、敢えて雨の中を傘を差して探し回っていた姿に、ケータは感激した。しかるに両名とも、犬になったケータの存在に気付かなかった。
さらに恐ろしいのは、犬の妖怪たちがケータを新しい仲間として歓迎してくれたこと。コマさん&人面犬&イケメン犬は第五十五話「SFおばあちゃんの桃太郎」でも三人衆として登場したことがあるが、今回は、犬小屋で眠るケータを訪ねてきて、犬の群の前に連れて行き、新しい仲間として紹介していた。人間に戻りたい!というケータの悲鳴に、コマさんは全く心配も同情もしてくれそうになかった。ウィスパーにもジバニャンにも言葉が通じなくなってしまった中、頼みの綱はコマさんだけであるのに、当のコマさんはケータを人間の世界へ押し返すどころか、反対に犬の世界へ引き摺り込もうとしていた。こんなにも怖い事態はない。
ところで、突然の雨に見舞われて犬小屋へ逃げ込んだケータは、濡れた体から水を振り払ったとき、「こんな仕草をしちゃうなんて、俺、本当に犬になっちゃったんだ」と悲しんだが、実際には、第六十四話「妖怪バカ頭巾」で既にやっていた。