仮面ライダーゴースト第四十三話-第四十四話

平成仮面ライダー第十七作「仮面ライダーゴースト」。
第四十三話「接続!天才少年!」。
第四十四話「起動!デミアの恐怖!」。
一週間前には福井へ旅行していて第四十三話を見ていなかった。ゆえに今宵、二話まとめて一気に見た。連続する話は連続して視聴した方が見易く解し易いが、面白さが増すわけではないかもしれない。
魔界の新帝アデル(真山明大)は、眼魔世界長官イーディス(竹中直人)の謀反と亡命を受けて、新たに御用科学者イゴール山本浩司)を長官に起用した。イーディスが先帝アドニスの理想のための策を計画して実行しようとしていたように、イゴールもアデルの願望のための策を計画して実行しようとしている。それが「デミア計画」に他ならない。
デミアというのはコンタクトレンズの形をしているが、それを着けた者はデミアのサーヴァーに接続され、同じように接続された人々とも相互に接続される。インターネットの同型の体制だが、人間そのものが端末になる格好。結果、デミア装着者は急に頭脳明晰、博覧強記になるが、それで喜んでいられるのも束の間、やがてデミア装着者の魂は眼魂化され、分離された身体は眼魔界を維持してゆくための「資源」にされる。要するに、デミア計画というのは、アデルとイゴールが述べていたところを信じるなら、人間界を眼魔界と同質化し、一体化してしまうということにある。それは裏面では、人間界を完全に支配下に置くことで、眼魔界のための資源を多量に確保するということでもある。
だが、これに何の意味があるのだろうか。眼魔が不死であり得るなら、眼魔界は永続するはずであり、ゆえに資源を無限に要し続ける。しかるに、もし人間界を完全に制圧して現存の人間を全て資源化してしまったなら、もはや人間の数が増えることはなくなるのであり、資源は有限化されざるを得ない。莫大な資源も有限である限り必ずや枯渇するから、そのとき、無限に永続し得ると思われていた眼魔界も呆気なく終焉する。デミア計画は眼魔界の寿命を決定付けるだけの、自殺計画にしかならないのではないのか。
否、正確には、デミア計画は全人類を眼魂化することにはなっていない。なぜならデミアを入手したのは流行の最先端を走ることを愛好する一部の人々でしかないから。最前線を行っているつもりの、実際には単に踊らされているだけの人々しか被害者になっていない。人数は小さくはないが、全人類の一部でしかない。その意味では人間を全て資源化し得るわけではなく、ゆえに資源が枯渇する心配は当面はない。だが、それならなぜイゴールはあたかも全世界を手中に収めたかのように喜んでいたのか。まるで収めていないのではないか。
そもそも完璧な理想の世界を標榜する眼魔界が目障りな人間界を消滅させてしまった場合、以後それは何一つ波乱もなく無目的に存在し続けるだけの世界になりはしないか。永遠にどこまでも無意味に、退屈に、単に存在し続けてゆくだけの世界。そのような世界に、アデルもイゴールも耐えてゆけるのか。
それにしても、デミア計画を推進している謎のIT企業ディープコネクト社を率いるスティーブ・ビルズ・ゲイツセイン・カミュ)を、月村アカリ(大沢ひかる)はどういうわけか信用し、単にイゴールに利用されようとしているだけだろうと本気で思い込んでいたようだが、最初からどこをどう見てもイゴールと一心同体でしかなかった。なぜ信用してしまっていたのか。
この二話の見所としては、デミアを迂闊にも試着してしまった御成(柳喬之)が眼魂になってしまったとき、迷うことなくアラン(磯村勇斗)の身体に乗り移り、ついにはネクロムで変身してみせたことがある。残念ながら何の戦力にもならず混乱させただけだったが、アランの身体で行動する御成(柳喬之の演技を見事に形態模写してみせる磯村勇斗)というのが面白かった。第一話から常に目立っていた御成と、事実上の主人公とも云えるアランがこうして一緒になってしまうと、天空寺タケル(西銘駿)や深海マコト(山本涼介)の影が薄くなる。