聲の形公式ファンブック

講談社コミックスデラックス、大今良時聲の形 公式ファンブック』を今まではどの書店でもどうしても見付けることができないでいたのは、どうやら九月十七日の映画公開に先立つ九月十六日に発行された第一刷の完売に因る事態だったらしい。漸く今日、十一月二十五日発行の第二刷で入手することができた。
これには二〇〇八年(平成二十)第八十回新人漫画賞入選作品『聲の形』(21-65頁)と、二〇一三年(平成二十五)『週刊少年マガジン』十二号に「読み切り作品」として掲載された『聲の形』(68-128頁)が収録されている。最初に映画「聲の形」を観て、次いで講談社コミックスマガジン『聲の形』全七巻を読んだ者にとって、長い物語の本質が表現された初期のヴァージョン二種は極めて鮮烈に映る。初稿二種が表している物語は、全七巻の物語にも導入部として組み込まれてはいるが、実はそれは単なる導入部ではなく、むしろ物語の本質であると認識できる。反面、主人公二人の救済までは描かれていない。そこまでを追跡し直した物語として、全七巻を捉えることができる。
救済を可能にした条件の一つとして、苦難は「因果応報」ではないということの認識もあったと考えるなら、映画「聲の形」と映画「君の名は。」の間に感受できる何か独特な共通性の意味はそこにあるのかもしれない。石田将也は己の悪事に起因する「取り返しがつく気がしない」閉塞状況の中で五年間も苦しみ続けたが、実はその状況は自然の法則に因るわけでもなく、むしろ自然は常に無意味に、無目的に美しかった。そして糸守町の宮水三葉勅使河原克彦も、逃れることのできない厳しい掟の中で生き続けるしかないと思っていたが、それは自然の巨大な力によって呆気なく(あらゆる大切なものと一緒に)一掃され、同時に、自然の神秘によって力を与えられながらも「美しく、もがく」ことによって皆で生き延びることを得た。二つの物語は全く異質であるにもかかわらず、唯一、苦難は自然の掟ではないという希望を与え得る点ではどことなく似ているのではなかろうか。