新海誠原作ほしのこえコミカライズ版

新海誠原作/佐原ミズ漫画『ほしのこえ』を読んだ。
深海誠のデビュー作と位置付けられる短編映画「ほしのこえ」のコミカライズ版だが、読み進めてゆくに連れて、漫画ならではの良さには感心しつつ、映画との違いには戸惑わされた。物語の骨格こそ同じだが、コミカライズ版では地上における寺尾昇の生活、宇宙における長峰美加子の生活がそれぞれ詳しく描写されていて、情報量が大いに異なっている。
単純に考えるなら、原作が二十五分間の短編アニメーション映画であるのに対して、コミカライズ版がもともとは十ヶ月間にわたり雑誌『アフタヌーン』に連載された長編漫画であるという条件の差を反映していよう。しかし多分もっと重要なことは、「思いが時間や距離を超える」という主題を表現するために時間と距離の遠い隔たりを風景の広がりと輝きによって象徴したのが原作であるとするなら、コミカライズ版は人物の心理の描写の積み重ねによって描出したのであるというところだろう。深海誠は『小説 言の葉の庭』の後書において小説とアニメーションの差を論じているが、当然、漫画とアニメーションの間にも表現の可能性と限界の差がある。コミカライズ版が漫画の強味を活かして人物の表現に意を用いたのに対し、原作は映像の強味を活かして人物よりも風景に意味を託したと見ることができようか。そして多分、それこそが深海誠のアニメーション作品ならではの面白さであるに相違ない。
さらに云えば、「ほしのこえ」は無論のこと「秒速5センチメートル」にしても「言の葉の庭」にしても、人物の表現を抑制することで風景の美を際立たせているようにも見える。そう考えるとき、最新作「君の名は。」における人物の力強い実在感に満ちた(云わばジブリ仕込みの)雄弁な作画こそは(一般に評価されているのとは反対に)作品の面白味を唯一損ねてしまった部分でありはしないだろうか。
漸く風邪も収まってきたので、久し振りに映画館で「君の名は。」を観ておきたい気がしている。今日と明日の朝一番の上映では所謂「英語字幕版」を観ることができるようだが、明日の朝には流石に行けない。

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