氷菓ブルーレイディスクBOX四枚目の第十八話から第二十二話&特典映像まで鑑賞

休日。昨日は今月後半の両国行のための宿泊先を手配したが、今日は飛行機の往復券をも手配。これで両国イヴェントのとき東京へ行くことは確定した。しかしイヴェント会場へ入ることについては今から緊張せざるを得ない。会場内ほぼ女子のみであるに相違ない中、白い目で見られないように気を付けたい。
ところで。
夜、久し振りに「氷菓ブルーレイディスクBOXの四枚目を鑑賞した。第十八話「連峰は晴れているか」から第二十二話(最終回)「遠まわりする雛」まで五話を一気に観て、特典映像まで全て観終えた。
実に面白かった。第十二話から第十七話までの六話が一つの長大な物語を構成しているのに対し、第十八話からは短編の連続で、後日談のようでもあるが、意外に各話それぞれに重みを持つ。
例えば、第二十一話「手作りチョコレート事件」で折木奉太郎は再び意外な熱さを見せたが、そこにおいて福部里志に対して一瞬だけ抱いた憤りを、第二十二話「遠まわりする雛」では自分自身に対しても向けざるを得ないのかもしれない格好になり、福部里志に共感するしかなくなってしまった。やりたくないことをやらない「省エネ」人生が、やりたいことをやれないで誤魔化してしまう情けなさに終わってしまったところに、折木奉太郎の悲しさがあると同時に、折木奉太郎の中の、殆ど革命に近いとも形容できる大きな変化もあり、趣の深い結末をなした。そこが実に良い。
この最終話では、千反田えるが大きな存在として生きている小さな世界、その小さな世界が千反田えるにとっては大きな世界でもあることが抒情豊かに印象深く表現されたが、その一端は既に第二十話「あきましておめでとう」で明確に描写されていて、そこにおいて既に折木奉太郎千反田えるに同道を求められていた。しかも折木奉太郎千反田えるの名誉を守るため、かなり無理をした。だからこそ第二十二話で千反田える折木奉太郎に、自身の住んでいる世界の小ささと大きさを全て見せた。それなのに、云いたかったことを云えないで終わってしまった彼の「省エネ」の悲しさ。しかし昔の彼であれば悲しさを感じることさえもなかったのかもしれない。そのことこそが何とも云いようもない余韻を生じる。
折木奉太郎千反田えるの関係の深化は第十八話「連峰は晴れているか」と第十九話「心あたりのある者は」で表されている。第十八話では、折木奉太郎千反田えるのようなことを云い出し、自ら推理を始めてしまうが、そこに食らい付いて同道したのは千反田えるだけだった。第十九話に至っては、もはや折木奉太郎千反田えるの二人しか出てこない。二人だけの座興で、推理するにも値しないかと思われた小さな事象について何となく推理を始め、二人で会話しながら推理を深めてゆく内に、いつの間にか大事件の気配をも嗅ぎ取るに至り、翌朝の新聞で推理の正しさを突き付けられてしまった。実に奇妙な事件の話で、それ自体が最高に面白いが、これが同時に、二人の関係が云わば取り返しのつかないところまで深化してしまっていることの表現をもなしている。
こうして考えてみると、第十八話から第二十二話までの五話も、一つの大きな事件を解く大きな物語ではないにしても、一つの絶妙に流れてゆく物語ではあると云える。やはり傑作であると云うほかない。
特典映像では、千反田える役の佐藤聡美が飛騨高山の聖地を巡礼している。これを観て、「氷菓」の舞台をなした飛騨高山が本当に美しい街であるらしいことを知ると同時に、京都アニメーションがそこを見事に神秘化してもいるらしいことをも感じ取り得る。現実の風景も美しく、風景の表現も美しい。