コロコロ創刊伝説第二巻

小学館コロコロアニキコミックス、のむらしんぼ著『コロコロ創刊伝説』第二巻。
第一巻の刊行から一年間を経て漸く待望の第二巻。
映画「ドラえもん のび太の宇宙開拓史」が公開され、『コロコロコミック』が栄華を極めようとしていた矢先、強力なライヴァル誌として講談社コミックボンボン』が創刊され、その影響で、意外にも低迷を始めた時期の話。
のむらしんぼ初期の代表作『とどろけ!一番』も、「答えなしもまた答えなり」の名言を放って絶頂を迎えたかに見えた矢先に発想の枯渇に見舞われ、担当編集者の交代に伴って「ボクシング編」へ唐突な路線変更を断行した結果、苦情、批判、非難を浴びて打ち切りを余儀なくされた。
この第二巻には、当時の「ボクシング編」の一話が「反省コメント付き」で特別再録されているが、今あらためて読んでみると意外に面白い。これにどうして苦情が殺到したのか?と考えるに、やはり「受験格闘技編」からの路線変更が余りにも急激で唐突で、強烈な違和感を惹起したからであるとしか考えられない。惜しいことではある。
こうして作者のむらしんぼが長期の低迷に陥っていた間、『コロコロコミック』は低迷を打破すべく新機軸として、「ファミコン」流行の兆しを逸早く察知してその漫画化(あさいもとゆき著『ファミコンロッキー』)に成功し、さらにはファミコン情報をどこよりも早く提供する企画にも成功したばかりか、ファミコンの「裏技」に通じたファミコン名人として「高橋名人」をスター化してみせる快進撃を続けた。「裏技」という語の発祥が『コロコロコミック』にあったとは知らなかった。
巻末には、藤子・F・不二雄の愛弟子たかや健二(二〇一六年十月逝去、享年六十一)との友情の思い出が描かれている。当時の『コロコロコミック』の漫画家たちの日常や感情を窺うこともできる。この短編だけのためにも第二巻は読まれるに値する。たかや健二の代表作は(『のび太と鉄人兵団』のような「ドラえもん」作品群を別にすれば)『プラコン大作』ということになるのだろう。恩師の藤子・F・不二雄とはプラモデル仲間だったという話を知れば、この事実それ自体が一段と味わい深い。