マギ第三十二巻から第三十三巻まで/マギの物語は巧く完結できるのか

大高忍『マギ』第三十二巻から第三十三巻まで。
小学館の公式サイトによれば第三十四巻は六月十六日に発売される。ゆえに現時点の最新刊は第三十三巻であるから、単行本化された範囲では現時点の最新話まで読み終えたと云える。そして物語は終わろうとしていると見受ける。
こうして第一巻の第一夜から第三十三巻の第三百二十八夜まで一気に読んで、振り返って思うのは「随分、遠くへ来た」ということだろう。換言すれば、「マギ」は元来こんな話になる予定で始まったのだろうか?という疑問でもある。
物語が始まった当初の、アラジンとアリババが出会って一緒に冒険を始めたのを読んでいたときの楽しい気分は、その後なかなか満たされることがなかった。俗に「戦闘力のインフレーション」という語があるようだが、多分この物語も力のインフレを連発し過ぎて、制御し切れなくなっているのだろう。
それで第三十三巻では、シンドバッドがウーゴの聖宮に乗り込み、世界そのものを書き換えるという酷い挙に出てしまった。その前提として、実はウーゴ自身が世界の多重構造を見抜いて、この世界ともっと上位の神の世界とを入れ換えることに成功していたということがある。ダビデやソロモンが挑んだ神に対してウーゴの方が優位に立っていた以上、ウーゴよりも優位に立てば世界を意のままにできるという真相があり、そのことを知らなかったシンドバッドは、ウーゴに敗北したことによってそのことを知り得て、七人のジンの助力を得てウーゴを騙してみせた。
物語の構造としては面白いが、反則ではないのか。ウーゴは世界に対する神の立場を書物に対する筆者に譬えたが、これに準えるなら、ウーゴの聖宮を攻略し終えたシンドバッドは、次には大高忍のアトリエを攻略しても良いし、攻略することは不可能ではないことになってしまうではないか。その暁には、大高忍に代わってシンドバッドが描く『マギ』が始まるに相違ない。
この物語の面白さの一つは、「王の器」を選定するマギと、マギによって選定された王の器が世界を良くするために活動する中、複数のマギたち、複数の王の器たちがそれぞれ信じる世界の理想像が互いに異なっていて、ゆえに戦争が絶えないという問題を繰り返し描いているところにある。王権は護持されるべきか、民主化されるべきか。商業は規則によって制御されるべきか、自由化されるべきか。国境は守られるべきか、撤廃されるべきか。国家は他の国家に侵されない権利を有するのか、世界政府に服従すべきであるのか。世界政府の目的は、それを結成し運営する列強諸国が世界を統治して平和を維持することであるのか、それともむしろ、列強諸国をも含めた諸国家の権利を大幅に制限することによって、有力な商人による国境を超えた情け容赦ない弱肉強食、世界支配を、誰にも邪魔されないように見守ることであるのか。
しかし、これは極めて難しい問題であり、現在の世界の、現実の問題そのものではないか。百年前の二度の世界大戦も同じ問題をめぐって生じた事件だったのが明らかであり、今日の欧州連合脱退や経済連携協定も同じだろう。こんなにも生々しい問題がこの物語の中で巧く結ばれようとは想像し難い。
なお、レーム帝国の名族アレキウスの家名を今まで「アキレウス」と間違えていた。今日ようやく気付いたので、過去の記事まで全て修正しておいた。