打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?シネマサンシャインMASAKIで鑑賞

 休日。午前には寝ていて、午後に慌ただしく外出。エミフルMASAKIに到着したのは午後三時半頃。シネマサンシャインMASAKIで上映時刻表を確認して券を買い、約一時間の余裕があったので、先ずはエミフル店外にある家具店と電器店で買物をしたあと、店内に戻り、タオル美術館で青地に黒猫文様のタオルを二枚。定刻の約十五分前になったので急ぎ映画館へ戻り、アイス抹茶オレと、空腹だったのでチョコレイトのワッフルも買って入場。
 夕方四時三十分から、映画「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」を鑑賞した。
 感想。意外にも楽しめた。世間の評判を聞いていたので、かなりの駄作であるのかもしれないとも予想し、云わば悪口を書くつもりで観てみたのに、予想外だった。前半にはどこか懐かしい情感があり、後半にはそうした情感を上書きして塗り潰してゆく異質な空の下の、小さな逃避行の混沌があった。この後半に次々現れた様々に不気味な空間表現が面白かったが、あれも劇団イヌカレー空間だったろうか。
 そして「典道くん」の顔も声も嫌いではない。
 twitterで幾つかの感想を眺めた中には、この映画「打ち上げ花火」に往年の「ドリフ大爆笑」における「もしもシリーズ」の「オマージュ」を見る説があり、もちろん半ば冗談で云われたのだろうとは思うが、実に説得力があったので感服した。私見では、後半の逃避行の途上、電車内でヒロインが昔のアイドル歌謡曲を歌い始めて以降の、突然勃発した鉄道沿線の追走劇や、岬の灯台の階段を延々駆け登ってゆく展開には劇場版「クレヨンしんちゃん」に近い面白さを感じたが、話の構造を考えるなら確かに、むしろ「ドリフ大爆笑」の「もしもシリーズ」だろう。この近似性に気付いてこそ異なる点の重要性も見えてこよう。「打ち上げ花火」が「ドリフ大爆笑」と異なるのは、選ばれなかった複数の過去が、最後の最も不気味な花火の中に、美しくも哀しく、懐かしく表された点にある。
 twitterも含めてインターネット上に氾濫する酷評の中には映像の拙さを指摘する声も少なくなく、なるほど、絵が光の効果に暈され過ぎているのか余りにも不鮮明だったし、手描き部分と3DCGの調和の不足も(劇場版モンストアニメ程には露骨ではなかったとはいえ)目立っていたし、登場人物の動作が滑らかではない中で絵の不安定感も強調されがちだったろう。「君の名は。」も「聲の形」も「劇場版SAO」も、「ドラえもん」も「クレヨンしんちゃん」も「ポケットモンスター」も「妖怪ウォッチ」も、「ひるね姫」も「メアリ」も、「ノーゲーム・ノーライフ ゼロ」も「魔法少女リリカルなのは」も、何れもそうした点ではそれぞれ安定した出来栄えだったことは、シャフトには不利だったのかもしれない。しかし、そうした表現技術の質を求めるのは実は一部の先鋭な人々のみで、彼等の声がインターネット上に拡散され過ぎて無用に共有され過ぎてしまったのが現在の事態の真相ではないのか?と思えなくもない。
 ともあれ、売店で「打ち上げ花火」のパンフレットを二冊、「劇場版ポケットモンスター キミにきめた!」パンフレットの二冊目を買って映画館を去り、暫し店内を歩いた。
 エミフルMASAKI二階フードコートの出切口付近には「ポケモンストア」の開店を予告する大きな看板があった。四国初の開店であることが記されている。楽しみ。
 店内には浴衣を着た若者が散見された。郊外電車で松山市駅へ戻ってみれば、さらに大勢の浴衣の人々が見えた。駅の改札口の手前には三津浜駅と松山市駅の間の往復券の販売所が特設されていた。なるほど、今宵は台風で延期されていた三津浜花火大会の開催日だったのか。それで帰宅後、愛媛CATVで三津浜花火大会の生中継放送を鑑賞。その終盤、会場では花火に合わせてRADWIMPSの「前前前世」が流れていた。「打ち上げ花火」の主題歌ではないのか。