新春奉賀候/休日四日目/伊佐爾波神社へ初詣/正月早々論文書き初めて一気に書き終える元日の夜

 年始の休日一日目(年末年始の休日四日目)。
 新春御慶奉賀候。
 午前中を寝て過ごして昼の少し前に漸く起きた。雑煮のようなものを温めて食べて、御節料理の半分を温めて食べて、バナナオレを拵えて飲み、苺オレを拵えて飲み、和菓子を食べて緑茶を飲んで大いに寛いだ。
 その間、一時頃にはテレヴィ番組「爆笑ヒットパレード」でアキラ100パーセントという芸人に生じた番組史上空前の事故を目撃してしまった。どうなることかと思ったが、幸い、特に問題視されたわけでもなく、二度目の挑戦では見事に成功していた。
 暫くはテレヴィをテキトウに眺めながら怠惰に過ごしていたが、夕方四時二十分頃に外出。本当はどこにも外出しないまま元日一日を過ごしたい気もしてはいたが、今宵にも予定している論文書き初めが順調に進展して三日までに無事完成できるだろうことを祈願しておくべしと思い、初詣を決意し、外へ出た。空は晴れやかだったたが、既に夕陽が松山城の彼方へ沈もうとしていた。
 道後湯之町の商店街を抜けて、カラクリ時計の前を通過して坂道を登り、鳥居をくぐり、道後の湯月八幡宮延喜式内社、重要文化財、伊佐爾波神社に到着したのは四時四十分頃。この神社における正月の名物と云えるのが、高く急な石段の上の、参拝の順番を待つ人々の行列。今年は例年よりも参拝者が多かったのかもしれない。時間を長く感じた中、四時五十六分に不図振り返れば彼方に夕陽の輝きを見ることを得た。四時五十九分には無事登頂。参拝を済ませ、回廊を一周して、松山藩第三代藩主松平定長侯によって奉献された朱塗の美しい社殿をあらためて鑑賞。石段へ戻ってみれば、まだ行列が続いていた。今年は本当に参拝者が多かったと判った。
 石段を降りたあと、道後温泉本館を見物。商店街も見物。一六タルトの店の前には、最近発売されたらしい「みきゃん」&「ダークみきゃん」のタルトを宣伝する幟が立っていた。市内電車内で詳しく宣伝されていたところによると、「みきゃん」タルトには愛媛ミカンを使用し、「ダークみきゃん」タルトには愛媛ミカンの他に久万高原町の久万茶とチョコをも使用している由。県外産の悪役であるはずの「ダークみきゃん」の方が郷土色豊かで豪華であるという矛盾があって面白い。
 道後湯之町商店街のアイドルとも云える太った猫が、旺盛に御食事を摂っている姿を見ることができた。アーケイドには数ヶ月前から、道後温泉で入浴する元気な男児たちを捉えた陽気な写真が展示されていて、常々気になっていたので、今日は改めて鑑賞してみた。
 六時半頃、道後温泉別館こと飛鳥乃湯泉の完成した様子をも見物。椿の湯の脇にあった聖徳太子行啓の石碑は、椿の湯と飛鳥乃湯泉との間にある広々とした前庭の、かなり見易い場所へ移設されていた。そして石碑の脇にある池には湯が流れていて、その湯気が温泉気分を出していた。このような演出が従来の道後には足りなかったので、飛鳥乃湯泉のこの演出は成功していると思われた。
 何も買物することなく帰宅。大根とキノコをオロシ状態にしてカツオダシで煮て、残っていた御節料理や餅も一緒に煮てカレーにして、豆腐も加えた。食べてみれば意外にも実に濃厚な欧風のカレーに仕上がった気がした。大成功だが、なぜだろうか。
 バナナオレと苺オレをそれぞれ拵えて一気に飲んで少し寛いだあと、確か夜九時頃から漸く論文に着手。半分位は書き終えたいと思いながら必死に進めていたが、没頭した結果、そのまま一気に書き終えた。気付けば未明四時を過ぎていた。約七時間で、約五千二百字。正月早々大いに働いたが、これで正月三日までは本気で休み得る。安堵した。
 そして、この日記を書き終えたのが五時二十四分。