姫路城を見かける/金曜ロードSHOW時をかける少女/細田守監督とポスト宮崎駿問題

 朝、仕事の現場へ向かう途上、天下の名城、姫路城(白鷺城)を観た。
 夕方五時頃までには京都の職場へ戻り、夜八時頃までには退出。八時半までには帰宅した。
 こうして夜九時からは、テレヴィで金曜ロードSHOW「時をかける少女」を鑑賞した。
 取り敢えず観て、楽しめた。間宮千昭が際立って格好よく描かれているのは最初から明らかだった。しかもそのことは途中から終盤に向けて極めて重大な意味を担った。
 過去の小さな改竄によって、改竄した者の過去の出来事だけではなく、周囲の人々の感情や記憶や人間関係までも改変され続ける過程がジワジワと恐ろしく、見応えがそこにあった。
 過去の繰り返しを表す音楽がバッハの「ゴルトベルク変奏曲」であるのが実に良い選曲。京都アニメーション山田尚子監督の「映画 聲の形」において主題を担った音楽がバッハの「インウェンティオ」だったことも踏まえるなら、創造の場におけるバッハ音楽の力を再認識できよう。
 終盤、「未来で待ってる」という台詞は良かった。
 なかなか楽しめたが、もっと興味深いのは、細田守監督の下で助監督を務めた伊藤智彦があの名作「劇場版ソードアート・オンライン オーディナル・スケール」の監督であるというところ。実に面白い事実。
 ところで。
 今週に続いて来週も細田守監督作品「バケモノの子」が放送される。これは細田守監督の新作「未来のミライ」が今日から公開されたことに絡み、それを盛り上げるための策であるのが明白だが、同時に、そのあと三週間にわたりスタジオジブリ作品が放送された末に八月の最終日にはスタジオポノック米林宏昌監督作品「メアリと魔女の花」が放送されることを踏まえるなら、むしろこれは日本テレビにおける所謂「ポスト宮崎駿」問題への意思を表明しているに相違ない。
 しかし、アニメーション界の異端児でありながら一般には同じく「ポスト宮崎」に挙げられることのある新海誠監督が「ポスト」問題の存在を否定していることからも判るように、宮崎駿はあくまでも大勢のアニメーション監督の中の一人であって、その後継者が待望されているという問題設定は、単に、宮崎駿スタジオジブリで盛大な商売を続けてきた日本テレビにとっての関心事でしかなく、本来その商売の関係者の外には何の関係もないように思われる。それがあたかも日本のアニメーション界全体の大問題であるかのように語られることがあるのは、そうした関係者が言論界において権力を有していることの証明でしかない。
 今宵「時をかける少女」を観て大いに楽しめたとはいえ、率直にいえば、宮崎駿にも才能を認められたらしいアニメーション界の実力派、細田守監督が、アニメーション界の異端児でしかない新海誠監督に勝っているとは思えなかった。